←戻る    次へ →

基本

知識はそのまま 見方を変えれば・・・

基本事項のみで説明は省いてあります。詳細は本文中のリンクをクリックして下さい。 Q&A の全項目と他の主要箇所にジャンプします。
 ・・・とお思いですか?(でしょうね?)。
プロの方ほどそんなことは無理と思われるのではないでしょうか。まあ、冗談も程々にしろとお怒りにならないでください。これが自然の摂理に従った地球を壊さない大変有効かつ、地域差、規模の大小、経営基盤の強弱等を問わず単純明快にして実行可能と思われる農法の基本です。

┌──←──生──←──┐
循       命       環
└──→──死──→──┘

 
←戻る   ↑ トップ

なにはともあれ

 「乾かして」「過剰な水分」を抜き、土にも頭にも「空気」を入れて下さい。余程の乾燥地(半砂漠など)以外では先ず空気です。生き物は「水、餌」以前に酸素が必要。息ができなければ話になりません。
心土に空気を入れる心土破砕(深度80cm以上)は農作業ではなく、一回限りの環境整備のための土木工事。現在(2013)のところブラジル以外では対応する専用機がありません。土木業者に相談して下さい。
稀に新開地、施肥栽培をしたことのない土地などで、直径1〜1.5cmの棒が数十cm以上刺さるほど土が軟らかで必要ない場合もあります(但し、柔らかくても土壌中の微生物相が豊かにならないと作物は育たない)。
 

やってみようかな [その前に・・・]

 補助資材(EM菌・土着菌などの微生物、米糠、竹・木酢液、海藻や魚の発酵エキス、ミネラルなどの微量要素資材、炭などの土壌改良資材)を転換初期に使った方がよいとありますが、化学・天然、無機・有機を問わず、使用目的を理解するまでは使わないで下さい。
使い方次第で大変有用なものですが、高炭素資材以外は一切使わなくてもできます(高炭素資材のキノコ廃菌床でも機能が理解できない内は避けた方が無難、使い方によっては施肥栽培になる)。むしろ、使いこなせない物を使い、無駄な時間と経費・労力を浪費するより、最小限の思考と手間と資材で始めた方が早く成果を上げることができます。尤も何が起きてもそれは自然の範囲内、故に自然の法則による農法に失敗はない

転換時には過去のツケが一気に表面化してきます。そこへ補助資材の目的や作用を理解せず、安易に使ってもマイナス面(有機資材・団粒化成分の浪費など)だけが増幅・強調されます。土作り(環境整備)の進行にブレーキがかかり、混乱するばかりで目的達成も覚束なくなります。
そもそも過去、「自然が“いのち”を生かしている仕組み」を誰も理論的に理解し説明した者がいなかったため、廃菌床や補助資材を使いこなせる知識や技術(慣行の2〜3倍の生産性)もなかったのです。要は「分かったつもりになるな」。「さわらぬ物に祟りなし^-^」です。

基 単純  明快  矛盾なし  準
 
←戻る   ↑ トップ

作る [詳細]

緑肥(餌)の鋤き込み
自然農法といってもトラクターを鍬に持ち替えるわけではない。
緑肥(微生物の餌=緑餌)は立ったまま「生きている」状態で鋤き込む。
転換3年経過
3年経てばこの通りこれが標準。これ以下では何処かがおかしい。自然農法症候群の疑いあり。
サトウキビのモノカルチャー
所変われば鍬替わる。深さ80cmまで心土破砕、作物残渣を40cmまで攪拌混入するデカイ鍬。一作目から増収(3倍)。
 
←戻る   ↑ トップ

サラダ農法 − 無肥料(堆肥やボカシも使わない)。

 無施肥による無肥料栽培。結果として無防除(無農薬)です。無施肥なら無肥料かというと、そうとは限りません。土壌には自然あるいは人為的な多様な経路から養分供給が行われ、条件次第では特定成分が「肥」となることもあります。
勿論、養分供給が行われなければ作物は育ちません。作物にとって無肥料ということであり、無養分ということではありません。また、無施肥=無資材でもありません。「肥」にならないよう適切な資材を使い自然の持つ力を最大限引きだします。単に、何も使わない、耕さないという自然に対する「甘え」の「自然の猿真似農法=箱庭農法」ではありません。

ところで「肥」と「養分」の違いとはなんでしょう。肥は文字通り、作物の健康とは無関係に、単に「肥やす」作用があるもの。養分は作物の生長にとって必要不可欠で、各成育段階に応じ過不足なく満たされなければならないもの。
同じ物であっても、過剰で「肥」となり「毒」となれば、それは養分と呼ぶことはできません。量やバランス、供給の仕方も養分の内と考えなければならないのです。

雑草や緑肥作物で大気中の炭素を固定したり、廃棄物扱いされている高炭素(木質系、草本系)資材を鋤き込みます。しかし、この炭素は微生物の餌(主にエネルギー源)であり、作物の肥料ではありません。
また、あくまでも炭素供給が主目的、窒素ではないのです。ですから土を痛めるマメ科の緑肥植物は使いません。作物の必要とする窒素などの養分は自然状態と同じように、その炭素源を使う微生物に一切を任せます。

堆肥やボカシ、たとえ緑肥でも作物の肥料になるもの、なるような与え方はしません。自然の野山を見れば分かるように条件が整えば、植物(作物)の必要とする養分は賄えるようにできています。
無施肥の場合十分な餌を与えれば、微生物による土の浄化(無機態窒素の吸収や腐敗成分の分解)と共に土壌微生物(バイオマス)が著しく増え、餌をたくさん食べるようになり、成育速度も想像以上に早くなります。

尤も、転換後、「土壌中の炭素循環量=土壌微生物の活動量」が一定レベルに達し安定した土壌構造ができ上がれば、それほど多くの餌を必要とせず、炭素資材の確保のために自然を破壊する懸念もありません。
イネ科(水稲、トウモロコシ、サトウキビ、麦)などの炭素固定量、残渣の多い作物は、最初から残渣(水田の場合ワラ、株)だけで十分。蔬菜類でも土壌構造が出来上がれば、外部からの高炭素資材の持ち込みはゼロ。「植え(蒔い)て採るだけ」。唯一の未解決問題であった大量の餌やりから解放されます。
 大量の餌やり:
大量と言っても、慣行栽培に比べ多いわけではない。堆肥の「標準施用量(稲藁堆肥換算)普通畑 15〜30t/ha/年/連用(地力増進基本指針 農水省)」に必要な堆肥の原料の半量〜同程度(畑にするための一回限りの造成工事=排水・通気のための溝のチップ等を除き)。しかも、施用期間は土壌構造が出来上がる迄の転換初期 2〜4年だけで、それ以降は必要ない。

但し、土壌構造ができ上がる前に、餌が不足し微生物が餓死したり飢餓状態になれば土は後戻りして、作物は栄養失調、成長遅延、野生化(退化現象=小さく硬い、繊維質、青臭くアクが強い)。肥沃地とは逆に貧栄養に強い雑草が優勢になり、土の浄化もできません。そして、栄養失調の貧弱野菜は糖やビタミン類も少なく不味くなります

ある試験(学術的)結果では、緑肥だけで土木工事(排水対策、心土破砕)なし、3年目の収量が慣行の1/10とのことです。その典型が過去の「猿真似自然農法」の、低収量で貧弱、漢方農薬を必要とする浄化不完全な土。
本物(本来の人の食物)を育てる土の作物は、成長も早く見かけも立派で虫(菌)も食わず、高収量(慣行並〜3倍:例1例2)です。

有機農法=堆肥農法ではありません。有機物(炭素資材)を堆肥化すると、原料にもよりますが微生物の働きにより、半分から十数分の一の量になります。大量の資材を使うということは、それだけ環境に負荷をかけることを意味し環境破壊に繋がります。
即ち堆肥は微生物が食べ残した残り滓(ボカシも同様)。残り滓で最大の効果を期待するのは無理というものでしょう。

堆肥は作物の肥料にはなっても微生物の餌にはなりません。食べ滓ですから土を団粒化する力が僅かしか残っていないのです。最小限の有機物で最大限の効果を上げるためには、土の外ではなく土の中で微生物を働かせます
土壌物理性の改善(団粒化など)は微生物が土壌中で働いてこそ可能であり、これが実際の土の作り方。すると土は進化、階層化します。これが土を作るという真の意味です。

団粒化に貢献するといわれる、ミミズや有用センチュウ等の微小生物は、微生物がいて初めてその力を発揮します。尤も土がフカフカでミミズが沢山いるようではまだ、土ができていない証拠。現行の有機(堆肥)農法を見れば明らかなように、菌害や虫害が出ます。
炭素循環農法では糸状菌が先に有機物を食べてしまい、細菌類や昆虫、ミミズは消えてしまいます。微生物が有機物を分解し微小生物の餌とし、微生物自身も彼らの餌となり土壌中の食物連鎖ができ上がります。実際には、肉眼で確認できる虫はほぼ全て消えます

 土を効率よく改良するためには微生物のエネルギー源である炭素(有機物)を生きた状態、つまり生のまま与える事が肝要。この際、大規模栽培ではモノカルチャー化と機械化は必然です。
もし、C/N比40以下の、死んだ(菌類がガードしていない)ものや、未熟堆肥(C/N比20〜30)を入れると腐敗の結果、過剰な窒素があるのに窒素飢餓 = 窒素ブロックを来たします。今まで完熟堆肥(C/N比20以下)を使えと、言われてきた理由の一つです(C/N比40以上では起きない)。

また、生や未熟堆肥を使うと、病虫害が発生しやすいと言われています。これも窒素飢餓同様、腐敗の結果いわゆる有用微生物(実際には全て有用、無用なものなどない)が充分働けない土壌環境にいきなり過負荷な仕事を課すからです。
そのため分解し切れず、消化不良・腐敗(下痢状態)の結果起きる現象です(大地は地球の腸に相当)。典型例が転換初期の、気温上昇期(春先)の土の硬化現象です。
環境さえ整えれば(土壌の通気性と微生物量の増大)、生の方が遥かに効率的(無駄ゼロ)で問題も起きません。ただ、病み上がりの半病人に過食と美食は厳禁です。

生ごみ処理の場合のような、堆肥化は否定しません。しかし「処理」ではなく「利用」、わざわざ大量の有機物資材を、手間暇かけて堆肥化し、資材が本来持っている力を、無効化する現行の「有機堆肥農法」は、限りある有機物資源と労力の無駄使い。環境破壊以外の何ものでもありません。自然の理に従えば最小限の手間や技術、資材で最大限の効果が得られます。

生生生・・・生の有機物の投入により微生物を生かし、土を活かすサラダ農法が第一の基本です。  
←戻る   ↑ トップ

自然流農法 − 連作をする。

 植物は一度、大地に根を下ろせば、そこから動くことはできません。野生植物の自生地が毎年変わることなどありません。木などは数千年も同じ所で生き続けます。
吸収・有機化(無機・有機態→光合成→有機物)という作業から開放された動物(有機物の解体・再組み立て役)のように、動き回ることはできないのです。もし、動き回れない植物にとって本当に連作がいけないのなら、僅かな例外(浮き草、植物プランクトン等)を除き植物はとっくの昔に絶滅していたでしょう。

 稲作地帯では多少の裏作(輪作)等も行ってきましたが基本的には連作です。でも、イネが連作に強いというのはウソ。過去、作物残滓(ワラ、モミガラ、糠)を持ち出し、他に利用して土に還元しなかったため、里山の下草(炭素補給)や厩肥(施肥)などの必要に迫られました(化学肥料に変わっても同じ)。

湛水条件では施肥に対する依存度が低く、窒素吸収量の半分は地力窒素(微生物が供給源)。これが辛うじて連作を可能にしています(畑作では吸収量の100%以上の施肥量野菜で水稲の約5倍)。

しかし、今以上に施肥量を増やせば各種の障害が起き、たとえ農薬使用量を増やしても生産性が悪化、やむなく低生産性に甘んじているのが現状と言えます。無施肥ならワラだけで、転換2作目で慣行並み、3作目で1.5倍〜2倍の収量が得られます。

田畑を問わず、障害の全て(倒伏、病虫害、不味い、いわゆる連作障害、環境適応力低下=天災など)は施肥による、土壌環境の破壊が真の原因。全ての障害=施肥障害です。
第二次大戦以前の300kg/10aが、化学肥料中心になり500kg。しかし、ワラなどの残滓を持ち出さない現在なら900kg以上は可能。但し収量が極端に低い、自然(断食)農法からの転換の場合は、ワラや根株の量が少ないため餌の追加が必要である。

種子の自家採取は、栽培種の多様性という面でより重要性の高い問題です。また、無施肥に対する順化操作でもあります。でも、市販の種子の多くも、そのまま使えます。ただ、なかには使えないものもありますから、必要に応じてやればよく絶対条件ではありません

順化は、無施肥で同じ土地に同じ作物を作り続け、その作物から何代も種子を繰り返し採取し続けます。この操作で、種子にまで及んだ施肥障害(種子の肥毒)により、最初のうちは弱かった作物も次第に病虫害を受けなくなり、生産性も高まります。

連作すると作物がその土に適応し、本来の力を取り戻すと同時に、土を自分に合うように作り変え健康に育つようになるからです。
つまり、土(土壌微生物・細菌叢)も作物に対し順応化するということです。逆に施肥状態(平均的畑作の施肥量=作物の窒素吸収量の130%)に順化したのが、一般に出回っている改良種なのです。

無施肥の場合一度も作物を育てたことのない土では、養分があっても最初は殆ど育たない作物がありますが「土の順化操作=連作」で通常の収量になります(3連作ほど)。
作物の種類により、土壌微生物(特に菌根菌)との共生度・相互依存度に強弱があるためと思われます。
順化操作:
種子(実)で繁殖させるものは、市販されているものでも無施肥に対する適応力は比較的高く、栽培可能なものが多い。特に葉茎野菜、根菜類は種子の自家採取の必要性は薄い。ただし、種子繁殖でも施肥して育てられた市販の苗は、適応力が落ちている。初期成育が悪い場合もあり、苗から無施肥にするのが良い。
果菜類も適応力が高いものが多いが、自家採取した方が良いものもある。F1種は再選抜が必要(作物により難易度が違う)。
種イモ、種苗(イチゴ等)、挿し木(サツマイモ、サトウキビ等)、芽などの体組織で繁殖するものは、一度でも施肥栽培すると、無施肥に対する適応力が著しく損なわれる。初回は種(苗)が採れれば良しとし、少なくとも3回は自家採取を繰り返し本来の性質を取り戻す必要がある。
 
 植物は微生物や微小生物の力を借り、自ら土を耕し生き延びてきました。作物は根から糖類、有機酸、アミノ酸などの有機成分を分泌し、これを根圏の土壌微生物が利用します。植物体自身も炭素(微生物のエネルギー源)の補給源です。
微生物は、有機物の分解・無機化やミネラルの可吸化。アミノ酸、ビタミン類、核酸、抗菌物質等の生成など、相互に依存しています。炭素の次に必要量の多い、窒素を大気中から固定するのも微生物の役目です。

通常(過去の自然・有機栽培)では、根圏にミミズ(腐敗時のみ)やセンチュウ(ネマトーダ)等の、微小生物も集まります。根圏微生物相(叢)は作物により違い、作物が替われば、これを育てなおさなければいけません。
ところが、土壌微生物を活性化し腐敗をなくせば、厄介な雑草や虫は一切消え、地上部は作物だけになり単一(モノカルチャー)化します。この状態になると、全ての作物に適応できる微生物相になり、余計な行為は一切(土壌構造が出来上がれば餌も)不要です。
 センチュウ:
害ばかり強調されるが、作物に被害を与える種類はごく僅か。多くはカビや微生物を食べ、無害というより土作り(環境整備)に貢献している。ある調査では10a当たり、全土壌生物1200kg中の500kgがセンチュウで、一番多いという結果が出ている。
 虫や雑草:
虫は腐敗物の掃除屋、雑草は土壌中の成分の調整役。出番がなくなれば消える。一見、不自然に見えても、これが自然(法則=仕組み)。

無機、有機を問わず肥料(窒素)は糸状菌を殺します。特に、キノコ菌や植物内生菌(エンドファイト)=根に共生する菌根菌などの糸状菌は窒素に弱く死にます。内生菌は実質的に根の代わりをし水や養分を植物に供給する重要な役目をしています。
また、無闇な深耕は微生物相(叢)の破壊や異常活性化、有機物の浪費を招きます。彼らが土を作り、作物を育てているのですから。

しかし、自然猿真似農法のように不耕起に拘る必要もありません。転換時の深耕(天地返しや心土破砕)とは別に、作付け毎に極浅く餌を混ぜるのは給餌(微生物飼育)。その必要もなくなれば結果的に不耕起というわけです。
実は、自然状態の方が人が耕す畑よりはるかに深く耕されているのです。微生物を最大限、生かせない不耕起栽培は自然の意志(命を生かす)に反します。
それ以外に土を弄る行為は、緊急時(転換時に起きやすい酸欠による腐敗)以外は地力=バイオマスの消耗を招くためやってはいけません。尤も、大量の木質系チップを敷き詰める永年作物などの場合も、混ぜる必要もないため結果的に不耕起。でも、これはあくまでも結果。目的でも手段でもありません。

 全ての事象を人の側ではなく、自然の側に立ち観察してください。連作できないのは、人の傲慢で身勝手な理屈(現代科学=物質のみの科学)に基づく、自然の摂理を無視した破壊的行為の結果に他なりません。地域や作物により緑肥作物との輪作が必要ですが、
 物質のみの科学
物質の範囲内に限れば正しく、それ自体が間違っているわけではないが一面的。但し、認識(検証)できないからと“あちら=意識世界(未来側に属す)”を否定することは間違い。また逆にあちらの“エネルギー”によると思われる現象を未検証のまま肯定するのは危険。

連連連・・・連作こそが自然に逆らわない自然流農法、第二の基本です。  
←戻る   ↑ トップ

手抜き農法 − 手間をかけない。経費をかけない。特殊なものは使わない。

 人が直接、土壌環境を整えることができるという自己中心の思い上がりが、そもそもの間違いの元。人が余計な手をかけてはいけないのです。また、必要なことはやらなければなりません。
作物の生育状態や、気候の変化等に完全に対応し、土壌環境をコントロールすることは、現在のところ不可能です。ならば、始めからコントロールをすることは諦め適地適作を考え、全てを自然(微生物)に任せれば良いわけです。

任せると言っても、放置ではありません。微生物は無報酬では働かないのです。絶対に欠かせないのが高炭素有機物です。コメやトウモロコシ、サトウキビなら根や残渣だけで十分。緑肥作物(雑草)を使えば種子代と僅かな手間だけ(勿論、無施肥)。栽培作物や地域に合わせ多種栽培でき、圃場外から有機物を持ち込む必要もなくなります。
古代文明を支えた農法と同じように生を無処理のまま使います。現行の有機堆肥農法のように、堆肥作りの手間がかからず、堆肥化による減量もありません。緑肥以外の資材を圃場外から持ち込む場合でも、堆肥化しなければ 1/10〜1/2前後の資材で足ります。

高炭素有機物と共に転換初期に使った方が良い資材があります(素人は手を出さない、土ができれば不要、プロは溺れないように)。微生物製剤(EM菌や類似の)または土着菌。それを爆発的に増やす米糠(他の糠類でも可)、糖蜜(水溶性で糖類さえあれば他の副産物で可)などです(何れも「単独=餌なし」で土に入れてはいけない)。
どんなに素晴らしいものでも、高価だったり少量しかないような、特殊なものは使用しません。なお、自然農法は「引き算農法」。同じ資材でも、足し算の慣行農法と、使い方やその意味が違うということを、十分理解してから使って下さい。万能資材などというものはないのです。高炭素資材以外の、ある資材が効果があったからと、それに頼り使い続けると必ず転換に失敗します。

ジャガイモの例ですと、緑肥(雑草)=微生物の餌と、10a当たり僅か30kgの米糠(初期の微生物活性化)で十分です。あとは極少量の、増量・活性化した微生物群と糖蜜(極初期の微生物の弁当)、土地により少量の貝殻粉末等を必要に応じて使います。
とはいっても、数百kg〜トン単位の堆肥と更に化学肥料を使っている方には、いきなり信じられない程少量です。でも、これで慣行並みの収量が得られます。緑肥も米糠も肥料ではなく、窒素固定、団粒化などを行う微生物を飼うための餌だからです。
繰り返しますが緑肥は間違っても枯らしてはいけません。但し菌の繁殖しやすいように半生状態にするのは、米糠(もちろん生)の節約にもなり(半量でよい)、微生物叢の貧弱な転換初期にはお奨め。半生=「土には秋を食べさせる」「秋の稔り」を与えます。

微生物が十分働けば、施肥の必要はありません。人が入れたもので作物を育てているわけではないのです。なお、永年作物や栽培期間の長い作物では、生きた被服材を使えば完璧(作物が地面を覆ってしまう場合は必要ない)。
この方法を続けると、生えてくる雑草の種類が変わり、除草の手間も大幅に省けます。ジャガイモの場合、一回の土寄せのみです。堆肥ナシ。除草ナシ。もちろん消毒なんぞしません。
ですから経費は作物にもよりますが、化学肥料と農薬の慣行農法の数十%〜1/10以下。経費の大部分は肥料(堆肥)と労力という手間、暇、金のかかる現行の有機堆肥農法と比較すれば、その差は更に大きなものとなるでしょう。

確かに慣行農法からの移行期には、病虫害等で殆ど収穫できないこともないとは言えません。しかし、それは当たり前でしょう。瀕死の重病人にいきなり働けと言っても無理というものです。
20年30年と堆肥や化学肥料、農薬を使い続け、土壌環境を無茶苦茶にしてしまっているのですから、その付けはキッチリ払わなければなりません。自然農法(猿真似=箱庭)でも同じ、浄化が全くできていません。

元に戻るのに3〜5年 2〜3年 0〜3年は覚悟した方がよいでしょう。特に地下水の流れの下流になる場所や心土の高濃度汚染の浄化には時間がかかります。
3年経っても成果が出なければ、地下の土壌構造そのものに問題があります(水田跡地など低地に多い不透水性の粘土層など)。抜本的な土木工事(一回限り)が必要です。
しかし、一旦土ができ上がれば手間も金もかからず品質、収量など全てにおいて慣行農法を超えます。やり方や規模次第では転換初年度から慣行を超えます。では「それまでどうするのだ」と思うのは素人。いきなり全圃場を転換するなどプロのやることではありません。

日本では例外的に、そのまま入れるだけでよい特殊な資材が大量にあります。キノコ廃菌床です。少々乱暴ですがキノコ生産量から逆算して、日本の全畑作耕地の10%を、無施肥にできる量です。また、大量の木材屑も、世界から見れば例外です。投入有機物量は神様が最低限度量を決めています。

地球を壊さないためには、おら家の畑だけというのではダメ。地域や土を選ばず何処でも、誰でも、が最低条件。代替の資材がなかったり、特殊な知識・技術が必要であっては、地球規模で適用できません。
また、カネや手間暇さえかければ良いというものでもありません。発展途上国では常に資金不足。先進国では人的資源が不足しがちです。

作物が直接使えるもの、作物に直接作用するものは一切与えない」。これが本物(本来)の自然農法を可能にしている主「因」です。先ずは、
 無施肥 = 無肥料(有機・無機を問わず)・無堆肥(植物性・動物性を問わず)。
すると、「果」として、
 無防除 = 無隔離・無農薬(天敵・生物農薬、漢方的な物、手で取るのも含め、全ての殺し行為)。
 無潅水播種(定植)時のみ3回まで、生育期間中は潅水ゼロ(たとえハウスでも)。
無理、無駄のない、人にも自然にもやさしい(理に逆らわない)、

無無無・・・の手抜き農法。これぞ有機・自然農法の真髄です。  
←戻る   ↑ トップ

因果農法 − 勿論、化学肥料、農薬など論外です。

 肥料と農薬(施肥・防除)、これはワンセット。消費者は農薬、除草剤を問題にしますが諸悪の根源は化学肥料や完熟堆肥(微生物の食べ滓)を代表とする肥料です。
確かに作物の肥料になりますが、肥効成分の純度が高く(医薬品やサプリメントと同作用)、土壌中の微生物にとっては食べ物ではなく毒。そのため多種多様な微生物群が餓死・毒死。作物が健康に育つための土壌環境が破壊されます。
化学肥料も堆肥も土を殺し養分バランスを崩すだけの無用な代物。土壌環境が整えば、微生物由来(窒素固定や可吸化)のもので吸収量を十分満たします。

施肥を止めれば水さえも僅かで足り、干ばつに強く半乾燥地域などでも耕作可能になります。また土は本来、水の浄化作用があり、その大部分は微生物の働きによります(発酵型土壌)。
肥料を使うと浄化作用に関わっている微生物は死に、有機成分が腐敗・無機化します(腐敗型土壌)。すると土は異臭(ドブと同じ腐敗臭)を発し、硝酸や腐敗成分による水汚染を招きます。

そして土の団粒構造は壊れ、保水・保肥・通気・通水性が失われ硬く固まり、肥料は有っても作物は有効に利用できません。それを肥料・水不足と勘違いし安易に肥料や水を大量に与えると、作物は養分や水を求めて土壌中深く根を張ろうとしません。
この様な表層にしか根を張れない状態のところに、更に肥料をやればやるほど肥料不足を起こし、潅水すればするほど水不足を起こします。

この悪循環に陥って化学肥料の多用を続けると、肥料の保持力を失ったドブ状態の田畑からはメタンガスや硫化水素などを放出、あふれた出した窒素や燐は河川を富栄養化して本来、水や大気の浄化作用を持った農地が反対に汚染源になります。
更に吸水・保水性がないため、地下水涵養力が失われ洪水を誘発、干ばつに弱く、表土は雨水に容易に流され河川を埋め生態系を破壊。半乾燥地帯や熱帯、亜熱帯地方では砂漠化を招く危険もあります。

但し、化学肥料でも「肥」としなければ無害です。有機物でも「肥」となれば有害です。堆肥でも化学肥料と同様に硝酸汚染が起きます。肥料により不健康でひ弱な作物は病害虫の格好の餌となり、農薬使用に拍車をかけることになります。
人は病原菌とか害虫と呼んでいますが、実はそんなものは存在しません。普段、彼らは弱ったものや役目を終えた動植物を餌としています。彼らは必要不可欠な存在で子孫に残してはいけない性質(DNA)を持ったものを食べたり、枯らしたりして処分してくれている、ありがたい存在でもあるのです。

その証拠に過保護、化学肥料、堆肥、農薬の多用等による軟弱なものには菌害や虫害が出ます。無施肥栽培の柔軟であっても丈夫なものには病気も虫もつきません。但し、栽培法や理由の如何を問わず弱れば虫や菌に食われます。また、同一圃場の作物でも弱っているものから順に菌や虫がつきます。
生物には、それぞれ活躍する場に違いがあり、命の組み立て作用と解体作用の二つの場があり、菌や虫は命の解体作用の場で働きます。この世に無駄なものは存在していない筈です。人の傲慢さから病害虫と呼んでいますが、感謝を込めて処分菌とか掃除虫とでも呼ぶべきでしょう。

南米には「人がサウーバを滅ぼすかサウーバが人を滅ぼすか」と言われる程の繁殖力旺盛なハキリアリがいます。土中の巣穴に葉を運び込みカビを培養して餌としますが、普通このアリはジャガイモの葉を好んで運びます。ところが炭素循環農法の畑のアリは、ジャガイモの葉には見向きもせず、畝間に生えた草をせっせと運んでいます。
容易にカビの生えない健康なジャガイモの葉を運ぶほど、彼らは馬鹿ではありません。尤もどこの世界にも、そそっかしい奴はいるもので、カビの生えにくい物を運び込むこともあり、分かれば直ぐ運び出します。もし、カビが生えず餌が絶たれれば、3日ほどでアリの群れは餓死します(防カビ剤で兵糧攻めにする殺アリ剤に応用)。

農薬使用は化学肥料や堆肥多用の結果に過ぎません。本来必要のないものです。プロの農業者なら先刻ご承知の筈です。不健康な作物にしか菌も虫もつかないということを。何らかの原因で作物が弱ればあっという間に菌や虫の餌食になります。また、収穫後は短期間で鮮度が落ち不味くなり、日持ちせず腐敗します(バクテリアの餌食)。
逆に、美味しくて日持ち良い物は健康だからなのです。要は如何に健康な作物を育てるかです。それには、化学肥料や堆肥で富栄養化の元凶である無機態窒素(硝酸)があふれ出すような、ドブ状態ではお話になりません。

この健康(活力=生命力)ということを殆どの方が誤解しているようです。必ずしも「病気ではない=健康」ではないということです。
健康な(病害虫に犯されない)状態を保つためとの理由から農薬散布をして、それを健康な農産物と称して販売、何の疑問も感じていません。また健康でも病害虫の被害を受けるとも言います。
これはとんだ勘違いで、一見健康そうに見えても不健康だからこそ病害虫の被害を受けるのです。その健康度は虫が教えてくれます。このような病気ではないが健康でもない状態を人では未病と呼んでいます。健康とは病気ではないということではなく、生命力(生命度)に満ち活力があり、病害虫を一切受け付けない状態を健康と呼ぶのです。ですから農薬に頼り予防をしなければならない状態では真に健康とはいえません。

因があり果が生じます。原因を断たない限り、結果を幾らいじり回してもダメです。彼らを殺すことを考えても根本的解決にはなり得ません。

因因因・・・因から正す因果農法、極当たり前の基本です。  
←戻る   ↑ トップ

活生農法 − 共生(僕らはみーんな生きている♪♪♪)。

 病気が出たら菌に処分してもらうことです。ひ弱なものは虫に掃除してもらうことです。それが彼らの役目なのですから、また誰のせいでもありません不健康に育てた自分のせいです。とも言っていられませんから微生物や天敵の助けを借りましょう。但し、あくまでも転換期(初年度)に限っての応急的な緊急処置。専業のプロや永年作物以外は必要なし。「触らぬ神に祟りなし」です。
 緊急処置:
有機農法で木酢液や海草エキス、岩石ミネラル液、魚の発酵液、牛乳等を葉面散布することがある。これは葉面から養分を吸収させ丈夫するということ以外にも重要な意味がある。これらには微生物の繁殖に必要なミネラル等がバランスよく含まれていて、葉面の微生物を増やし菌の栄養源となる埃や葉から出た分泌物を食べさせ、菌を兵糧攻めにするという働きがあり、有用微生物の繁殖により他の菌の繁殖を抑制する。バチルス・ズブチリスは、ある種の病原菌と養分や生育環境が競合するため生物農薬として応用されている。

100倍ほどに薄めた牛乳を散布するとアブラムシが消えてしまう。海草エキスの散布によりアオムシが食べた葉を吐き出し死んでしまう。これは大量に繁殖したバクテリアの働きによるものと思われる。有機野菜をカルキを含んだ水道水で洗って保存したら直ぐ腐ってしまったが、井戸水で洗った物は長期保存しても萎れて黄色くなることはあっても腐ることはなかったそうだ。これは表面に付着している有用微生物が腐敗菌の増殖を抑えているためと考えられる。

木酢液(主成分:酢酸、通常200倍〜2000倍で噴霧)の高濃度液ならいざ知らず、牛乳や海草エキスに殺菌力や殺虫力があろう筈がない。だから下手に牛乳等を化学肥料多用の圃場に散布すると逆に菌にご馳走を与えることになり病気が発生する。虫は牛乳風呂気分で病気で更に軟弱になった作物を喜んで食べるだけだ。これはある程度土ができ上がって初めて有効な手段となるが、過渡期のみで本当に土が良くなれば防虫(菌)対策(対症療法)は必要ない

忘れてならないことは天敵や微生物に働いて貰うのにタダというわけにはいかないということだ。先ず彼らに衣食住の提供をしなければならない。彼らは裸、衣はおくとして先ず食だ。土壌中の微生物の餌は生の有機物。堆肥やボカシは滓、基本として使わない。木酢液、木炭、海草エキス、魚の発酵液、貝化石、岩石(ミネラル液)等も微生物に必要な微量要素を含んでいて、土壌中の微生物を爆発的に増やし活性化する。
木酢液・木炭は、土壌中の微量成分・水溶性ミネラルを木が長年かけ吸収蓄積した、エキスと結晶。また海草エキス、魚の発酵液等は陸のミネラルが溶け込んだ海水を、魚や海草が濃縮したもののエキス。そしてミネラルそのものの貝化石や岩石というわけだ。

但し、前記のような補助資材や土壌改良資材は容易に入手可能な場合に限り、必ず必要という物ではない。慣行農法で土壌の微生物相が極端に貧弱になっている場合、初期に使った方が良いのは微生物。少々手間が掛かかるが林の腐葉土等から、土着の微生物を採取し拡大培養する方法と、手っ取り早く市販の微生物製剤を使う方法がある。

補助資材を使いこなすのは難しく、使いこなせる知識や技術があれば必要ない物。いずれにしても大した役には立ちません。それより基本に徹することです。絶対に必要なものは酸素。次が微生物の餌だけです。
餌は与え方に間違いがなければ転換初期の内は、多過ぎるということはありません。しかし土ができれば、それほど多くは必要としません。ただ何事にも適度というものがありますが。

自然条件下では特定の少数の微生物(有用微生物群)では充分力を発揮しません。堆肥化すると微生物相が偏り貧弱になりますが、生のままの有機物を入れると多種多様な微生物が働きます。
一つの微生物が有機物を分解するとその分解物や分泌物、未分解物等を他の微生物が分解します。それを更に分解する微生物も必要で、多様な微生物群の方が効果的です。そして、この土壌微生物の多様性が、自然の生態系全般の生物多様性を裏(土の中)から支えています。

農耕地では、単に作物の種類を増やしたところで生物多様性は保てません。表面を繕う(栽培種の多様性)より、見えない部分(土壌微生物)の多様性がより重要なのです。自然の原理上、地下が多様化すれば地表は逆に単一化します。

早い話が土の中で青草等を腐敗させないように漬物にしたり、納豆?にしたり、ヨーグルト?を作ったりアルコール発酵させたりして土ごとボカシにしようというわけです。
それからもう一つ、微生物にいきなり自給自足を強いても繁殖に時間がかかり、もたもたしていると有機物は腐敗してしまいます。転換期には極少量の米糠(大さじ1〜3杯/1平米)や糖蜜等の弁当を持たせて爆発的に一気に増やしてやると効果的です(多いと腐敗)。

住は彼らが自ら土を団粒化し通気性、通水性、保水性の良い状態にし乾燥や寒暖の差に強い土に変えます。土ができてくれば簡単に水不足は起きません。むやみに潅水などして好気性菌を窒息死させたり土を固めるような馬鹿な真似は慎まなければなりません。土ができれば、たとえハウスでも無潅水(播種、定植時の前後3日間のみ)が基本です。

腐敗を止め土を発酵状態にするためには、好気性菌が働けるよう「水を抜き空気を入れる」ことです。排水溝、暗渠、高畝、雨よけ(ビニールマルチ)、80cm以上の心土破砕、ハウス栽培など。
また好気性菌や嫌気性菌はそれぞれ自分に合った所に住み着いています。意味もない転地返しをしてはいけません。最後に衣です。これは衣食住を兼ねて、生きた有機物資材が微生物の棲みかとなります。

微生物や作物自身が耕す範囲が実質的な耕土で、人が耕す範囲ではありません。この事を忘れた薬剤による、土壌消毒などもってのほかです。しかし意外なことに、同じ土壌消毒の技術でも太陽熱消毒は、凄い仕組み(リセット効果)が隠されていて生かす技術として使えます。
 太陽熱消毒:
慣行栽培では消毒(殺菌・殺センチュウ)効果ばかり強調されているが、この技術の本質は土壌改良効果である。原理は「太陽熱+発酵熱+酸欠・腐敗で発生する有毒ガス」による「土壌微生物叢のリセット・再構築(正常化)」。腐敗しやすい物を完全に腐敗分解(微生物の死骸や腐敗生成物、作物残渣、堆肥など)。結果的に清浄化・団粒化が著しく促進され、2〜3回の処理で他の方法による場合の2〜3年分と同程度の土壌改良効果が得られる。発酵型土壌にする。

いずれにしても彼らを生(活)かし土を生かすこと。水田の場合は、水が耕土、土は心土と考えて下さい。微生物の餌は土に鋤き込まず、水に入れます。

天敵の餌は掃除虫(害虫)ですからこれを殺してはいけません。また害虫(なんて呼んでゴメンナサイ)の餌も確保してやらなければなりません。掃除虫は丈夫に育った作物は不味くて?食ませんから、通路や土手の草は邪魔にならない程度に残しておくことです。
これは天敵や掃除虫の棲みかにもなり、更に茎葉は表土の乾燥を防ぎ根は土を柔らかくし、鋤き込めば微生物の餌になります。
但し、これは転換初期のみ雑草が役に立つ内は未だ土ができていない証拠。雑草の役目が終われば自然に生えなくなります。
なお、近くに林や藪があれば小鳥等の大型の天敵の棲みかとなり理想的です。そして短期間(1〜2年)で、これらも必要なくなるのが炭素循環農法なのです。目的の作物以外の生き物が勝手に消えモノカルチャー化、防除の対象も同時に消え無防除。これは一連の現象(多様性)の別々の面を見ているに過ぎません。
 
一見、邪魔者とみえる病原菌、害虫、雑草等を含めどのような手段であっても、殺すことを考えてはいけません。とにかく、環境を含め全てを生(活)かすことです。全てのものが無機的に単独に存在したり、あるいは生きているのではありません。全てが有機的に繋がり自然の秩序の中で生かされています。

自然の模倣が自然農法ではありません。自然が“いのち”を生かす仕組みに従い、人が手を加えれば結果的に今まで誰も見たことのない不自然な農耕地が出現します。不自然がいけないのではなく反自然がいけないのです。
また単に、圃場条件や使用資材を規定した有機JASの基準に従い、有機物資材を使ったからといって「真の有機農法」になるわけでもないのです。肝心な養分循環を自然(主に微生物)に任せ、自然の生物生存の原理による、

  有機的な繋がりの中で共に生きるための農法

だから有機・(不)自然農法なのです。進化の頂点に立つヒトは一番身近なもの(人も微生物の塊)である微生物を生かすことによって、他の全ての生物を生かし、活かすことができます。他を生かすことにより初めて人は生きられるのです。

共共共・・・共に生かし生かされ、生き活きる、活生(活性)農法です。敵対するものは何一つありません。これが共に生きる基本です。
4 9 2
| |
3 5 7
| |
8 1 6


たんじゅん クリエイティブ・コモンズ・ライセンス 表示-継承 4.0 国際(要約) Creative Commons CC BY 4.0日本語公式サイト) 著作権等について E-Mail

←戻る    ↑ トップ    サイトマップ    次へ →

胎蔵界曼荼羅  金剛界曼荼羅
絹本著色両界曼荼羅図 浄土寺蔵
horizon in time of memory(仏教美術[特別企画]観想の空間)より転載