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雑記1

ちょっとしたことを・・・

■雑記1  雑記2  用語集(索引)  サイトマップ

ここは農法とは直接関係ありません。読まなくて結構です。「なら書くな!」なんて野暮なことは言わない^-^。
☆ 新規文章は雑記2へ移動しました。
☆ 新しい文章が上です。
神様・仏様も・・・
これも表面意識(5426)の構造表現の一つ。右回りに一つずらせば、一般的な平面的、配置位置。神仏(意識)の世界観は、古いほど精度が高く、時代を経るに従い複雑怪奇で怪しいものになる。神仏世界から遠ざかること自体は心の進化なのだが、人基準の宗教世界の多様・複雑化は心の世界の単一・一様化、弱体化の反映。
(画像: 東大寺パンフレットのコピーより)
あお
6
ヨーロッパ



多聞天[北]
あか
2
アジア



広目天[西]
四天王


持国天[東]
きい
4
北アメリカ



増長天[南]
みどり
5
アフリカ
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空と念仏、唱えてみても

 誰でも知っている「色即是空」。しかし、誰も本当の意味を知りません。多くの解説書、研究書が出回っていますが全てボツ。般若心経の「空=からっぽ」ではありません。これのせいか?、心を「空」に無心になどと、とんでもないことを言い出します。知らないということは怖ろしいことです。このために、どれ程多くの者が無駄に苦しみ(憑依や禅病など)、無為に時間を浪費したことでしょう。

土壌中の菌類(カビ、キノコ:発酵型)は、餌の量に比例して増えます。最近話題のエンドファイト(植物内生菌)の菌根菌も菌類です。ところが細菌類(バクテリア:腐敗型)は、餌の多寡とは無関係に常に、ほぼ一定量が生息。特殊な条件下のみで増えます。
肥料や堆肥、畜糞など低炭素比の腐敗しやすい物を入れた時や、土壌微生物が大量に死んだ時(主に溺死)など、相対的に窒素が多くなった場合に限られます。菌類と細菌類は全く別の生き物。分子系統学的にみて、人とキノコ(菌類)、植物などの関係より、かけ離れています。

つまり、常に菌類の餌が十分量あれば、圧倒的多数派の菌類がその場を支配。少数派の細菌類に支配権がありません。よく知られているように、病原菌は一定量以上にならないと発症しません。
ですから、土を「からっぽ」にしてはいけません。微生物(主に菌類=発酵型)で満たします。浄化とは「から」にすることではないのです。「から」にすると、常に一定量いる細菌類が相対的多数派になり、いわゆる腐敗型土壌になります。これが自然農法(自然風、猿真似)で、何時までも虫に食われる理由です。

心も「からっぽ」ではなく、満たさなければなりません。でも、何で満たせば・・・?。それが「空」です。般若心経の「空」。「空=くう」は、具体的なある“もの”を指します。
やれ、「空」だ。「から」だと念仏唱え。頭を、心を、空(から)にしてみても、ろくなことはありません。「空」は唱えたり、書き写すものではなく、心に満たす“もの”。常に「空」で満たし、悪霊などと呼ばれている影の部分(正常であれば常に少数勢力=腐敗型のバクテリアに相当)に、付け入る隙を与えてはなりません。
ろくなことは:
般若心経には「空」の性質や作用した結果だけで、肝心な心の浄化・調和の方法がない。心の科学が未発達で解明されていなかったからである。当然のことながら、何万年唱えようが目的を達成できるわけがない。本当に効果があるのなら何時までも唱える必要などない(病気が治れば薬は要らない)。何時までも殺し合いをやってはいない。これは既に、多くの人々に証明されている歴史的事実。形骸化した既成概念(意識の天動説)の怖さを思い知らされる典型事例である。しかし、教典自体は単なる科学書(解説書)。問題は自然風農法の「自然」と同じ。「らしさ」に利用することにある。

「空=ある“もの”」それは、エネルギー。“光”のエネルギーです(物=電磁波ではない)。そして“光”は“いろ”。“いろ”は“数”(量ではありません)。“光=いろ=数”この3つは絶対的関係にあり、全く同じ“もの”。バイオダイナミック農法の提唱者、ルドルフ・シュタイナーが見ていた“もの”。過去多くの人々が天使や菩薩などとして見ていた“もの”。9種類のエネルギーです。実際に「在る」“もの”ですから、見ようと思えば誰でも見られます。勿論、今では見る方法も、心の満たし方も分かっています。

土も心も満たすこと。隙間なく満たせば「不動」ぶれません。多少のことでは発酵・腐敗のバランスが崩れません。美味しい農産物と心の平安を得るのには、それだけでイイのです。でも、やるのは皆さん。私は美味しい野菜を作らせて食べる役、空念仏唱えてりゃイイんです(^^)。ちなみに、土の満たし方=応用・実践編。心の満たし方=理論編。もちろん、理論編があればこその実践編。しかし、実践編が世に出た今は、理論編は「心の病人」やその世界を知りたい者以外は特に必要としません。  
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ほとんど病気?(「らしい」ものは要注意)

 関心持つのは結構ですが・・・、炭循農法に惹かれる半数程度?の方は病気?。社会環境の悪化に耐えきれず、発症している過敏性体質(心質?)の持ち主です。そもそも、体も心も頑丈な(鈍い)者は、こんなものに関心を持ちません。どちらが正常なのかは、??ですが・・・。現在の環境を過酷(異常)と感じている者が発症します。
 過酷(異常)と感じている:
人は環境が過酷であるほど依存的になる。薬物のマイナスの効果を十分に知りながら、プラスの効果にあらがいきれずに薬物依存になるが、プラス効果の大きさは個々人の環境差による。より過酷な環境に置かれている者ほど大きく、依存症になりやすい。
心理学者(ブルース・アレグザンダー ; カナダ)の実験「ネズミの楽園」。動物は自傷や餓死のようなことがあっても、薬物そのものの魅力が強いために依存症になるのではない。育った環境が過酷であればあるほど薬物依存になるとの仮説から、ネズミにモルヒネ入りの水を飲ませた。理想的環境で育てられたネズミは、ほとんどモルヒネに興味を示さなかったのに対し、閉じ込められた過酷な環境のネズミは簡単に中毒になる。また、前者は中毒になっても簡単に、そこから抜け出せたが後者のネズミは依存から脱却できないことを立証した。

実際に、交流会に集まる方の中に、十人に一人ほど異様に眼が輝き始める方がいます。間違いなく重症者。医者の診断とは無関係に心の病気、本当の精神疾患?(医者は症状が出ない限り診てくれない)。これは「自然農法症候群」とは、また別。
何れにしても(ここに来る来ないに関わらず)過敏(心質?)であり、ある意味で危険な状態と言えます。しかし、眼が輝いているくらいでは、誰も異常さを指摘してくれません。
自分が病気だと自覚できるようになれば、ほぼ大丈夫なのですが・・・、既に手遅れの場合も。非常に残念ですが気付いたショックの余り?、結果的に思い詰め自ら命を絶つなどということも現実に起きています。
ある意味で危険:
39%。これは強姦、強盗など凶悪犯罪者の再犯率(日本)。犯罪も「依存症」も、心の作用から見れば同質。単に表出する症状の違い。何かに依存し、心のバランスを保とうとする多くの信仰行為や、自然に対し過度に依存・期待・崇拝する「自然教徒」なども、その現れの一つ。心の病も環境改善が行われない限り完治(更正)は困難。腐敗型環境では、何時でも害虫になり得る。

そこまでは予想外でもあり、医者でもない素人に治療もできません。でも、ここを理解することにより改善される筈です。土と心の治し方は同じ。心も土同様、いきなり良くはなりません。ゆっくり焦らず、時間をかけて下さい。
一応、このホームページは病人用に純度を上げ、薬効を高めてあります。だから、少々苦いのです(笑)。薬は、時には毒。使用に際しては使用説明書(サイト案内)を、よく読んで副作用に気を付けて下さい。

世の中、最近「らしい」ものが溢れています。その類の「もの」の氾濫は、異様なほど。それだけ危機感を抱いている人が増えた証なのでしょう。しかし似てはいても、似非は似非。毒にも薬にもならず効果もありません。
それでも、気休めくらいにはなりますから、楽しむ分には一向に構いません。とは言え、遊んでいる内に手遅れでは・・・。特に、著名なものほど×。くれぐれも、ご用心のほどを。もう、「らしさ」を弄んでいる場合ではないと思いますが・・・。

炭循農法など昔から良く知られ、行われている土壌改良法に過ぎません。心の問題も、結果は誰でも知っています。知られている事象を理論化しただけの話なんです。尤も「リンゴが木から下に落ちる」ことは誰でも知っていますが・・・。
実利実効。能書き無し。本物(本来のもの)は「当たり前のもの」少しも「らしく」はないのです。「らしい」ものは、「おかしい」。怪しいと思って間違いありません。  
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2000年前なら貴方も神様?仏様?(200回)

 2009年。今年もクリスマスの季節がやってきました(笑)。イエスさんは実在したとかしないとか?、まあ、それはどうでも良いのです。
老子(前500頃 思想家)。
釈迦(前500頃 仏様?、仏教の開祖)
イエス・キリスト(前4-28年頃? 神様? 宗教的指導者)。
ルドルフ・シュタイナー(1861-1925 神秘思想家・人智学の創始者、世界で最初の自然農法=バイオダイナミック農法提唱者)。
岡田茂吉(1882-1955 世界救世教の創始者、日本で最初の自然農法提唱者)。
鈴木敏文(1932-セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長・CEO)。
辰巳芳子(1942- 料理研究家)。
井上 陽水(1948- シンガーソングライター)も多分・・・。

一見、何の脈絡もないような・・・?。でも、彼らには一つの共通項があります。そう、意識の地動説化を果たした者達ですね。必要な情報は向こうからやってきます。特に調べたわけではありません。これは、ほんの一例。しかし、まだゝ彼らが少数派であることは間違いありません。

「やれ、精神世界だ。覚醒だ。瞑想だ。パラダイムシフトだ」と、“もっともらしい”ことを言ってる者は気付いてはいますが、先ずこの範疇に入りません。見かけの自然に対する依存症と同じ、単なる精神世界症候群(中毒、依存症)です。
良く言えば、福岡さんと同様な広報担当、もちろん大変重要な役目ではあります。ご苦労様です。ただ、“みえている”者は、ギャーギャー騒いだりせず、実利・実効を宗とします。

気付きは出発点、気付いただけでは意識の転換(地動説化)は起きません。慣れが必要です。これが200回。ん?悟り?・・・。そんなもの何の関係もありません。そして到達点に着く前に、確実にあの世に到達します(笑)。そしてまた・・・のです。
ここに書かれた意味が分かれば、既に、貴方も神様?の仲間入り (^^)。おっと、見えている方に余計な説明など要りませんでしたね ^^; 。
尤も、人々が無意識の内で「神様と認識している存在」は別。れっきとした対象が実在します。もちろん、この世界(物質)にではありません。全ての元、命の根源、エネルギーだけの世界に在ります。

精神世界を否定するわけではありません。ただ、現在の精神世界と言われるものは「自然猿真似症候群」と同様に、本物(心の本質や仕組みを捉えたもの)とは「似て非なるもの」。その多くは、現れてくる事象(結果)に一喜一憂し、翻弄されている“かわいそうな”子羊たち?なのです。尤も本人達が知らなきゃ、それはそれで幸せ?。なんでしょうけど・・・。

もっと素晴らしい「精妙な世界があるんだ」「眼を覚ませ」「おまえら低次元なんだよ」。ありがとうございます。気持ちは、分からないでもありませんが勝手にやって下さい。小さな親切・大きなお世話なんです。あはは・・・これもその類。失礼しました ^^; 。  
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宇宙飛行士・俳句・自然農法(日本人なら・・・)

 唐突ですが、何故か短歌が大嫌いです。テレビなどでうっかり見てしまうと、精神衛生上よくありません(笑)。しかし俳句は全く、気にならないのです。

過去、多くの宇宙飛行士達が、ある種の神秘的な体験をし、その後の生き方に多大な影響を受けています。生き方を変えるほどの体験といっても、単に「外側から地球を見る」というだけのものなんですが。
しかし、この非日常的な体験は、基点(視点)の転換「あちらからこちらをみる」という、特異的な精神作用をもたらします。つまり、天動説から地動説への意識転換を誘発するわけです。

神秘も分かってしまえば何てことはありません。でも、本当に凄い神秘もあるんですよ。コペルニクスから500年、地動説を疑う者はまずいないでしょう。ところが人々の意識は、相変わらず天動説のまま。これぞまさしく神秘です(笑)。
ところで、宇宙飛行をしなければ得られないほど、意識転換って難しいものなのでしょうか。今のところ誰しもが宇宙飛行というわけにはまいりません。人々の意識の地動説転換は当分の間、無理なのでしょうか?。

つい先日のことです。ぼんやりと恒例の歌会始を見るともなくみていたら突然、短歌嫌いの謎が解けました。短歌と俳句には本質的な違いがあったのです。天動説と地動説の違いです。
そこで早速、調べてみました。すると「無季と有季、主情と客観、抒情と美的秩序、長刀と短刀、機会詩と非機会詩、師系と一匹オオカミ」なんてのがありました。特に最初の二つ。これを足すと「短歌:無季・主情」、「俳句:有季・客観」です。
これが両者の本質的な違いでしょう。短歌は主観のみの世界。俳句は、季=自然ですから「有季・客観=自然から観る」。これって「あちらからこちらをみる」自然農法そのまんま。「抒情と美的秩序」以下もなるほど。納得です。

俳句は日本人のお家芸。自然農法の提唱者も日本人(岡田茂吉)。日本が自然農法の発信地なのは当たり前なんですね。日本人なら宇宙飛行なんかしなくたって意識転換は容易にできる?・・・のです。でも、短歌ではちょっと無理?(笑)。  
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続 貴方は貧乏(人を食いものにしなくても・・・)

 自然の仕組み上、必然的に導き出された答え(貴方は貧乏)は、何かを参考にしたものではありません。そして答えを出すと「問い」が後から出てくるのが自然○○の仕組み。というわけで最近、その問いを知ることになりました。労働と所得を切り離す、「基礎所得」ベーシックインカム(BI)構想。既にかなり具体的な話になっていてテスト(スウェーデンのフリーイヤー)段階とのことです。
フリーイヤー: スウェーデンの福祉国家戦略

ベーシックインカム構想は、最低限の所得保障です。もちろん働けばBIとは無関係に労働に見合う対価が支払われます。しかし、労働と無関係に「食える」点が、労賃で生活する資本主義的原理と本質的に違います。
また権力による非階層化・物質的平等を目指し、崩壊した社会主義とも違います。この物質世界は上下のあるピラミッド構造(階層構造)。人の社会でも同じで、階層を無くせば(よどめば)腐り、また自然に階層化します。
階層間の流転(循環)が社会の活力源だからです。自然に逆らわず階層を維持しながら、ピラミッドの底辺(基礎)部分からしっかりと固めて行こうというのがベーシックインカム構想です。

ベーシックインカム basic income(基礎所得)構想:  婚姻・就労・所得の有無、年齢、性別、資力のいかんを問わず、全ての個人に対し、基本的生活の充足に足る所得を、“無条件で一律”に支給する最低限所得保障。社会保障給付(現金給付=年金、扶助、手当)をすべてこれに置き換える。
  • 目的と留意点
    • 持続可能な福祉社会を目指す。
    • ゆとりある労働と生活「働く自由、働かない自由」「環境との調和」。
    • 抑制(禁欲)的なスローライフではない、脱消費(浪費)型経済社会(脱アメリカ型経済社会)。
    • 中央権力の過剰介入の排除。地方分権的な社会サービス構想との整合性。
    • 社会保障のうちの所得保障部分のみにに関わる。
    • 社会サービス(社会保障の現物給付部分)の解体や、「現金給付一本化」「所得一元化」ではない。
  • 特徴と効果
    • 福祉と就労を切り離し、税制の単純化や社会保障制度との統合・一元化。
    • 年金や手当支給などにかかわる非生産的な行政コストがほぼゼロになる。
    • 「失業と貧困」、「選別主義の保障制度」からの脱却。
    • 家族構成員の性別分業、所得別による家族像の呪縛からの解放。
    • 基礎教育・職業訓練や生涯教育期間中の所得保障により労働市場の柔軟化。
    • 個人の目標(賃金、生き甲斐)や適格に応じた職業選択・社会貢献、人生設計などの選択肢の多様化。
    • 多様な労働の価値(観)の尊重。労働の尊厳。
    • 価値観の多様化により、集中生産、効率化と分散、多様性の両立。
    • 労働時間などの雇用形態による勤労者の分断を無くし、大幅な「時短社会」の可能性。
    • 社会的貢献活動や文化・芸術活動など、収入に結びつき難い物的非生産分野の活発化。
    • 労働賃金依存の不安定な生活からの解放。物心両面の生活の質の向上。
    • 貧困・生活困窮による犯罪(荷担=組織犯罪)や自己破産、自殺の減少。異常な商法や金融制度の消滅。それに関わる経費の削減。
    • 善悪説のストレス(圧力)からの解放。自由・満足度アップにより精神的疾患の減少。
類義・類似語: 市民所得、負の所得税、社会配当、参加所得。
参考: 格差社会 ベーシック・インカム 小沢修司、他。

言い尽くされていることですが現行の生活向上や福祉を餌(脅し)に、勤労意欲をかきたて就労拡大をめざす産業経済、所得保障は、拝金主義、経済成長至上主義を助長。経済発展と自然環境保全との相反。中央集権、都市集中、地域格差、所得格差の拡大など、矛盾が増大するばかり。巷で言われる抑制的な自然農法と同発想の「スローライフ=退行生活」で、原点回帰などと誤魔化し切れる段階ではありません。

制度自体は単純で「働かずとも食える」という保証以外、直接的には何もしません。しかし、多くの派生効果があり、社会通念の転換に繋がる構想と思われます。そもそも、機会平等など幻想。資本主義正当化の方便に過ぎず、常に「食う」が最優先。食えなきゃ機会もヘチマもありゃしません。機会平等は最低限の「生活保障=結果平等=同じスタートライン」あっての話です。

食う心配がなくなれば、個人の自由な自発的行動により社会形態も変わります。仕事、勉学、趣味・娯楽や産業、制度などでも、人々が望むものは行われ(参加)、望まないものは自然淘汰(不参加)されます。
各自の欲求に従い、やればやるほど“結果的に他のためになってしまう”というのがゴールです。「平等」は階層構造の物質世界のものではありません。階層のない心(意識)の世界にあり、満足度、幸福度などではかれるものなのです。

無施肥(個人に餌=基礎所得だけ与え)無防除(排除・抑圧なし)。後は自然に任せれば、虫の餌にならない“無農薬社会?”(笑)。“有機・自然社会?”のでき上がり。「個」による「個」のための行動が「全=他」のためなる社会です。

要するに、全てを生(活)かす社会。主義・思想を超え、個人の自由と尊厳を保証し、何事においても強要しない。具体的には個人でも組織・国家でも、パイ(糧=命)の奪い合いをしなくても良い社会。人が人を食いものにしなくても生きられる社会です。
一言で言えば「自利利他」(仏教用語)ですが、これは思想以前の根源的なもの(原理)。残念ながら過去、説かれているのは結果であり、活用法は説かれていないようです。
このような社会では、最も非生産的な、規制・抑止(法令・法規・警察・裁判・弁護)などに関わる経費の大幅削減に繋がります。地球規模になれば、防衛・軍備も格安^-^。テロも戦争も組織主導、誰も参加する理由がなくなれば起きません。省力・省エネ・省資源^-^。

自然農法は自然から新たなパイを貰います。BI構想も同じ原理だから奪い合いがなくなるのです。しかし、ただ待っているだけ(スローライフ)では、棚からぼた餅は落ちてきません。
自然は理(法則)で結果を出します。人が自然の原理を理解し積極的に活用しなければなりません。自然が生き物を生かす原理を子供の時から教え、生涯それを活用する術を学ぶ必要があります。  
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続々 神様の気持ちになって(ダイエットは地動説)

生活習慣病は簡単に治る
 医療も天動説。地動説への転換を糖尿病(U型)を例にやってみよう。天動説では高血糖は合併症を引き起こすからとインシュリンで血糖値を下げます。あとは「低カロリー食、適度な運動」でお茶を濁し治療放棄。「糖尿病は一生治りません」とのたまう。治療もせず治るわけないんです。消した糖は、いったい何処へ行ったのでしょうね?・・・。
現在の処方では、インシュリン投与や薬を使い膵臓にインシュリンを出させて、捨てるべき糖を無理矢理、細胞に押し込んでいます。実際にはカロリー制限をし細胞が死なない程度に、糖を押し込みます。これで治ったら不思議というもの。
「大量の糖が入ってきたインシュリンをもっと出せ → これ以上の糖は要らないと細胞(インシュリン抵抗性) → では肝臓や脂肪組織に蓄えておこう → こっちも、もう満杯だ → ではインシュリンを減らし糖の搬入を止めよう → 血糖値上昇 → 糖漬けでは組織が保たん → 仕方がない糖は尿と一緒に捨てろ」
これが糖尿です。インシュリンの効きが悪くなったり、分泌が減るのも、高血糖、糖尿も、これら一連の症状は体を守るための機能が正常に働いた結果です。ただ、あくまでも非常事態での一時的な能力で、長期間続くと本来の機能が壊れ、元に戻らなくなり「病」となるわけです。
治さないための処方をし、一生治らないと保証している医者の言葉は正しいのです(笑)。医学の総力を注いだ、せっかくの処方なのですから、これを大いに利用しようではありませんか。ただし、全て正反対に・・・。
炭素循環農法流 生活習慣病(糖尿病)の治し方
 人体に限って見れば天は細胞(直接見えない方が天)。細胞あっての人体(地)。天の義(細胞の都合)を優先さをせます。

 ☆ 完治のコツ
飢える。
心を入れ替える。
医者の言うことは良く聞き、絶対に実行しない。
臭いものに蓋するな(薬による血糖コントロール)。
一日一善(一日一回低血糖)(薬さえ使わなければ死にはしません)。
ゴミ(余分な糖)は、直ちに捨てる(過度な運動)。
江戸っ子(宵越しの糖はもたねえ)。
親の遺言1 借金するな(天から見れば過剰摂取は借金)。
親の遺言2 借りは利子を付けて返せ(返さなければ寿命から差し引かれる)。
親の遺言3 貯め込むとカネ冷えで死ぬ(寿命は減点方式)。

 ☆ 運動
量と強度は体に聞け。
朝食抜きで運動し、低血糖になる強度と時間が一回分の目安(時速 6km以上の速歩のウォーキングで数千〜1万歩 = 1時間前後)。
低血糖になっても食べない。運動を続けても構わない。(薬さえ使っていなければ備蓄分で自然に上がる)。
一日3回食後 30分〜1時間以内に始める(朝食抜きでも食べたつもりで)。
合計歩数で約3万歩。
 1万歩は今日のため(健康維持)。
 1万歩は借金分(体脂肪などの消費)。
 あとの1万歩は利息分(治療)。
朝と夕の運動量は、食前より食後2時間の血糖値が低くなるように(下がらなければ減食)。
※ 朝: 細胞は朝食を摂っている(脂肪などから血糖を増やす機能が働く)。
※ 昼: 活動が最も活発化。エネルギー消費が盛んで食後2時間値が多少高くても良い。
※ 夕: 血糖値が正常になるまでは、食前の 1〜1時間半前にバナナ1本(小〜中)で血糖値を少し上げインシュリンの分泌を促しておく。食前の血糖値にほぼ反比例して、食後2時間値が下がる(糖を蓄える)。
食後、運動までの時間が長過ぎると低血糖になりやすい。生理的に蓄えた糖がエネルギー化し難い(取り込む時間帯のため)。この時間帯に限り、低血糖になったら運動を直ちに止め飴などで糖を補給。
 ☆ 食の摂り方とエネルギーの使い方
まとめ食い(飢える時間をできるだけ長く)。
朝食抜きの二食。間食厳禁。
時間帯に合わせる。夕、夜はエネルギーが内向き(蓄える)、朝、昼は外向き(放出)に作用する。
※ 朝: 朝食が病気を作る。細胞に二度食いさせない。前日の夕食からの備蓄分を使う(青汁など少量なら可)。
問題視されている朝食抜きは、生活習慣の乱れの結果に過ぎない。朝食(モーニング・コーヒーなど軽食は別)を摂らないのは外国でも普通。日本でも江戸時代頃までは2食だったと言われている。洋食化・車社会化が始まる半世紀ほど前までは、肉体労働(1〜3時間)してから朝食を摂っていた。間食(2〜3回)も同様。「働かざる者食うべからず」。肉体労働者や十分運動する成長期の子供以外は朝食や間食は摂ってはならない。
※ 昼: しっかり食べて活動。使い切る。
※ 夕: 食べて使って、蓄える(体組織のメンテナンス・翌朝分)。
※ 夜: 食うな。ただ、ひたすら寝る。
 ☆ 食事の質
カロリー・養分計算はするな(栄養学が病気を作る)。(過去何を食べていたか?
高糖質・低蛋白・低脂肪・高繊維食品を中心に。
旬のものを中心に穀菜食(腹一杯食べたければ野菜を増やす)。
時間帯に合わせる。
※ 朝: 葉、芽。
※ 昼: 茎、花、実。
※ 夕: 種、根。
食品数を減らし、エネルギー的にも養分的にも不足気味にして、取り込む力を回復させる。
“いのち”の純度の高い物を偏食(未精製)。
動物蛋白は魚まで(丸ごと食べられる小魚)。
共食いは止める(ほ乳類・乳製品・卵)。鳥(恐竜)なら週1回程度まで。
※ 共食い: 進化の系統樹から見て近いもの。
成分濃縮した物は薬=毒と心得よ(砂糖、油、塩、酢、アルコール、健康食品、栄養補助食品、サプリメント、ビタミン・ミネラル剤など)。発酵・醸造食品以外は可能な限り摂らない。特に油、砂糖は極少量(調味料というより薬感覚で)。
※ 成分濃縮: 物質の純度を上げると薬や毒の性質(薬理作用)が現れる。
※ 油、糖: 自然状態(動植物が健康)で多ければ食物としての質が高い(美味しい)。調理に使えば、不味いもの(食物として不適格)を旨いと感じさせる(味覚の一時的麻痺)。
ファーストフード・スナック菓子・レトルト食品・清涼飲料などのジャンクフード(油、砂糖、塩たっぷりの誤魔化し食品)の類は摂らない(体が求める食物の感覚正常化)。
化学調味料・各種添加物(毒)は絶対ダメ。勿論、添加食品も。「食える、死なない」だから食べても良いということではない。腐りやすいもの・不味いものは気を付けて摂れとの自然からの警告(本来の味覚・食物に対する色覚など選択眼の正常化)。

 ☆ 食事の量
細胞に聞く。
運動量を優先(食べたきゃ動け)。
体重は標準の90%(ガッチリタイプ)〜80%(華奢タイプ)になるまで過激に減らす。
初期は体重が確実に急速に減る量。
その後次第に小食・体重減で効率が良くなるため更なる減食が必要。
体脂肪率は15%以下。10%を目標に体重を一定にしたまま、体脂肪率を落とす(減った分、運動により筋肉を増やす)。
体重、体脂肪率が目標値に達しても次第に、代謝機能改善(血糖値維持機能の活性化)のため、朝の運動時に低血糖になりにくくなる。その場合は夕食の量を減らす。それでも低血糖を起こさなければ完治は近い。
※ 標準体重(kg) = 身長(m)2 x 22(体格指数)
※ 適正体脂肪率 = 男15%〜20%未満 ・ 女20%〜25%未満
(日本肥満学会の肥満判定基準より 1999年)
 以上。

でも、これができるくらいなら糖尿病などになりゃしない・・・かも? ^ ^。そこで挫折予防に週末くらいは普通食。月に一度は耐糖能(耐ご馳走能)負荷テストを兼ねレストランなどで豪勢にやろう(笑)。薬代に比べりゃ安いもの。

生物は生存、進化の都合上、取り込み機能に対して排出機能は相対的に未発達。餓えには強いが過食に弱いと考えられます。野生生物では通常、摂取過剰はみられません。しかし野生環境を離れたヒトや家畜などでは摂取過剰が起きます。
嘗て、生活習慣病は王侯貴族の病。一般庶民は体を使い断続的な「餓え」が日常的であり、恒常的な摂取過剰とは無縁でした。ところが現在は、まず飢えることがありません。特に貧困層では安価で高脂質・高カロリーのジャンクフードの摂取量が多く、糖尿病は貧乏人の病と言われる迄になりました。
生活習慣病に必要なものは栄養や薬ではなく、嘗てあって今は無い「餓え」さえ取り戻せばよいのです。その最も簡単で安上がりな手段が小食(高繊維食の大食)と運動というわけです。

天(細胞)の立場で起きている事象を捉えるのが地動説。コップは空にしなければ何も入りません。より多くのコップを空にすることです。空にすれば必要なものだけが入ってきます。炭素循環農法と原理は全く同じ。生活習慣(食事・運動)を改めるだけで、他には何も必要ありません。
でも、生活習慣病に良いという普通の食品群の摂取は、コップを空にするためには有効。ただし頼り過ぎない。他力本願は甘え、責任回避。あくまでも自力。生活習慣の乱れは、心の乱れ。心を入れ替えることを忘れずに。

要するに、細胞レベルでの飢餓状態を作る。エネルギー・養分収支をマイナスにして、体内に貯まった余剰分、それに伴い産生された有害物質を排出。これは結果的に、養分を取り込み蓄積する機能も高め、小食を可能にします。
浄化機能、代謝機能の正常化・効率化。これが本当のダイエット(美容・健康法)。病が消えるのは当然です。シミなどきれいに消え、肌にハリとツヤが出てきます。外面だけということはあり得ません。内側の肌(粘膜)や臓器も同時進行です。

施肥という考えが病虫害を招いたと同様に、栄養という考え方が病気(感染症は別の要素もある)を招いているのです。炭素(糖 = エネルギー)の循環量に比例して他の成分も循環します。糖尿病は炭素の滞りですから、それさえ解決すればよいのです。
全ての生活習慣病はこれだけで治る(筈)(何れサイトを改めデータと共に詳細をアップする予定、乞う御期待)。
※ “いのち”の純度: “いのち”のアナログ性、生命力、生命度、活性度=“いのち”の活(生)きの良さ。
※ アナログ性: デジタル性(生死)と並ぶ自然の本質的性質。
※ 生命現象に伴う法則性(参考)
   生   死
物質の流れ  低濃度 → 高濃度  高濃度 → 低濃度 
成分 複雑・多様化 単純・一様化
関係 秩序化 無秩序化
物質の純度 低 高
“いのち”の純度(密度) 高 低
エントロピー 負 正
 
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続 神様の気持ちになって(天動説は生きている)

 「何事も逆(あちら)から見る。自分(人)の側ではなく、相手=自然(神)の側から見る。」「神様の気持ちになって物事をみる」これって地動説なんですね。こんな簡単なことを、いまごろ気付くとは ^^;。
周囲を見回せば、天動説は過去のものではありません。コペルニクス(1473〜1543年)の地動説から約500年も経っているというのに。唯一、天文学などの物理科学だけが地動説。それ以外では未だに天動説が絶対的優勢を保っています。

地から天へとの、認識の基点転換が地動説。しかし広範な自然(天)と己(地)との間では転換が起こらず、相変わらず基点は地のままです。天が回ろうと、地が回ろうと普段の暮らしには、どうでもよいことのように思いますが、そうも言ってられないのです。
農業は「施肥・施水・防除」の殺し農法。医療分野では「栄養・防疫」の対症・殺し医療。人間社会ではテロや戦争と文字通りの人同士の殺し合い。何れも命に関わる問題です。それなのに何の疑問も持たれず、当然のこととして一般に受け入れられていることが怖いのです。

これらは全て、天動説ゆえに生起してくる行為、現象です。地(作物やヒト、人)を中心に置き、天(土壌や土壌微生物、大気。細胞や腸内微生物、食物・環境。社会など)がそのまわりを回っている。
やれ、肥料だ、栄養だ、国益だ。これが欲しい、あれが足りないと貪欲に取り込み、土壌や体内、個人や特定集団に過剰に蓄積し、溢れ出すわ腐敗するわでドブ状態。

そして、あれは邪魔、これは要らないと、作物やヒト、特定の個や集団に不都合なら「悪」のレッテル。ただの虫や菌を害虫・病原菌、ただの人を敵と呼び。防除・防疫・防衛と称して殺しを正当化。ついでに自然の回復力・自浄作用などが働いた結果現れる症状までも悪者扱い。その場限りの対症療法(臭い物に蓋)を施し、後始末(根本的治療や原因除去)をしていません。

これは、人の意識の及ぶ範囲、全てで起きる現象です。人々の平和の願いや反戦の叫びと一切無関係に、人が「正義」を叫ぶ限り、あらゆる場面で殺し合い(戦争=テロ・殺人・拷問、犯罪、いじめ、葛藤、抑圧など)は続きます。願えば、叫べば、祈れば、何とかなるなんてことはないのです。自然(天)の仕組み(法則)の問題だからです。
天の義はただ一つ「命を生かす」。正義は地の義、人の義、己の義。組織の数だけ、人の数だけ、個の数だけ、際限なく生まれてきます。人々の意識が天動説から地動説に転換しない限り、この世から殺し合いはなくなりません。  
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貴方は貧乏

「なぜ殺してはいけないの?」子供に聞かれて即座に答えられますか。人々の命を預かっている百姓(百生)が、しどろもどろでは困ります。

宇宙は命を生かすために在る。自然(この世界)は命を生かすためのシステム。これさえ理解すれば宗教や道徳、ましてや哲学などの陳腐な答えは無用です。
尤も、答えに対し理を問うような不遜な真似はしない?宗教。明らかな答えのある問いなどしない奥ゆかしい?哲学。何れも無用の長物。論理的・明快な回答を期待する方が悪いのでしょう。

殺しは自然に敵対する反逆行為。例外を除きどのような生き物の命でも、奪うということは自然に対する最大の冒涜です。例外的に自然が殺しを容認するのは、食べる場合(命の収斂作用)と、活きが悪く種の保存・進化に不都合な場合(命の解体作用)に限られます。
ところが、慣行(施肥・殺し)農法では、土壌中の微生物の命を奪い、虫(菌)の命を奪い、自然の命を生かす力を奪い、結果的に自分自身(人)の命を奪っているのです。種全体から見れば自殺行為です。

本当の自殺が増えています。社会が弱って(病んで)いる現われです(自殺率は実質GDP,失業率と密接な相関関係にある)。種全体を救うための自然の対抗手段(自己防衛)で、自殺は社会(のストレス)というウィルスに食べられたと言えます。そのウィルスを生み出したのは我々一人ひとり。間接的殺人です。
自殺データ: 社会実情データ図録(自殺率の国際比較 , 景気、失業者数、自殺者数の変動幅の推移

薄情なようですが、個人の自殺も活きの悪い生き物の処分法(命の解体作用)の一つで、細胞のアポトーシスと同様、自然の仕組みの一部(一種の免疫機構)と言えます。
自然は理により結果を出します(法則性)。一生懸命とか努力、慈悲とか愛とかは無関係で免罪符ではありません。一生懸命、努力した結果、うつ病で自殺しても、それが自然の理なのです。

自然は非情。弱れば容赦なく処分の対象です。問題は弱った原因。原因を正さない限り、一時的に防ぐことはできても半死状態の命を生き返らすことはできません。
弱る原因は物心両面の餌(物や物理的環境、慈悲や愛、自由)不足です。微生物に餌を与え生かすように、個人に十分餌を与えることです。金(物)、権力、自由、精神的ケアーなどの個人配分。要するに全面的な私有化・私物化。私利・私欲の奨励です(笑)。

しかし従来の、自由・個人主義は結果的に富・権力が組織に集中し、それを握る一部の者が支配し、逆に支配もされます。かといって、物質的共有社会の欠陥は社会主義の崩壊で証明済みです。
奴隷・封建制以来、今日まで、富・権力集中の組織社会であり、円滑な循環が行われず、必ず腐敗が起きます。このような社会は、組織は豊かになっても個人は常に貧しい社会です。

「俺は貧しくなんかない!」本当でしょうか?。好きなことだけ(仕事等)やってますか?。それでも必要な収入がありますか。自分の思いを社会に反映させてますか?。精神的にも満ち足りていますか?。税金(元は俺のもの^-^)を自由に使えますか?。否でしょう。貴方は貧乏なのです(笑)。

土は痩せ、微生物(個人)が肥えていなければなりません。無機養分(富、権力)が土壌中(組織社会)にあると、養分(富、権力、自由)のバランスが崩れ腐敗が起き、病虫害(犯罪、テロなど)が発生します。
すると、防疫・防除手段(警察、軍隊)が必要になり、農薬散布(刑罰、戦争)をしなければならないのです。これは全体(社会)を構成する最小単位の、個を生(活)かしていない証拠。
人類の歴史上、神や正義の名の元にどれだけの人を殺したことでしょう。殺すなと言っても、人は殺しや自殺を止めやしません。倫理・道徳を説いても、良心に訴えても、何かを規制したり奪っても、勧善懲悪でも、それだけではダメなんです。

国家や自治体、組織は貧しくても良いのです。いや、豊かになってはいけないのです。可能な限り個人を豊かにすることです。何でも個人に与えることです。但し、直ちに肥にならない高炭素資材(貯蓄・換金性がないか少ないもの)に限ります。尤も、個人が豊かな社会では、信用創造は不要で、貯蓄の意味もなくなり通貨制度も変わるでしょう。
信用創造: 銀行が預金と貸出しを連鎖的に繰り返すことで金が金を生み、実体の裏付けの無い通貨が増えていくこと(参考 よくわかる!金融用語辞典)。

自然の仕組み(法則・原理)と主義・思想も直接関係ありません。共有(共産制)社会は原始共産制の亡霊です。上(組織)から押し付けの、全が個を制御する共有社会は二度と来ないでしょう。
私有化社会=私のための社会=私が主。これが自然の意思(命を生かす)に沿った新しい「個の社会」。「個」が「全」を自動制御する社会システムです。これは主義でも思想でもありません。自然の仕組みから解き明かされる理です。

その現われが、地域通貨やウィキペディア、リナックスなど個人の意思による共有。一見、普通の共有のように見えても実態は、私有(私有の配分)を基礎においています。フェアトレードも個を生(活)かすシステムです。
地域通貨(参考 Q-project.地域通貨.LETS.CommunityMoney 地域通貨入門): 法定通貨の持つ魔性を排除し、一定の地域で流通する通貨。過去、何度も権力により潰されている。
フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia): 誰でも自由に編集や利用ができる百科事典。
リナックス(参考 IT用語辞典e-Words Linux): フリーソフトウェアとして公開され全世界のボランティアの開発者によって改良が重ねられている。
フェアトレード(参考 People Tree): 貧困のない公正な社会をつくるための、対話と透明性、互いの敬意に基づいた貿易。貧しい人々が自らの力で暮らしを向上させることを支援する。
 
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偏食のすすめ

 現在の栄養学では、蛋白質を多く摂った者の方が長生きできるからと、老人に肉をたくさん食べなさいと肉食を奨めています。確かに統計上は、その様な結果が出ています。
しかし、本当なのでしょうか?。殆んど肉食をしない者でも長生きしています。これをどのように説明するのでしょう。

これはデータの読み間違いと思います。因果関係が逆で、全てとは言いませんが肉食したから長生きしたのではなく、身体が丈夫だから肉食ができるのであり、肉食で多少寿命を縮めても、まだ身体が弱い者よりは長生できたということだと思います。
肉食できるのは結果というわけです。体力的に劣る弱い者は、肉食をしないから辛うじて生き長らえることができていると考えられます。

体の弱い(弱っている)者にとって肉食は、非常に負担になります。風邪などで体力が落ちている時に、肉を食べたいでしょうか。そんな時は、お粥に梅干と相場が決まっています。無理して食べれば身体が拒否し吐いてしまいます。
弱い者には身体に負担をかけない、低蛋白(窒素)の穀菜食が適しています。動物は本能に忠実に従い、怪我や病気などの時は、絶食し体力が回復してくるまで何も食べようとしません。

知人の姉は乳癌で医者に見放されたため、現代医療は一切受けず自然食を中心にした療養の結果、50kg程の体重が17kgになるまで、数年生き亡くなりました。
骸骨が皮を被っている状態です。ここまで生きるのも考えものですが、食事を変えたことにより、簡単に死ねなくなってしまった例です。

また、こんな話もあります。「貴女は二十歳まで生きられない」と医者(現代医学)に見放され、普通の食事(栄養学が勧める)が摂れない彼女は、自然食の勉強、普及に励みそれから40年、生きました。
彼女は、普通の食事だけでなく、点滴も受け付けない体質でした。過労で倒れ、口を利けない状態で病院に運ばれた時、点滴がダメだと必死に伝えようと暴れましたが、縛り付けられ点滴をされ死亡しました。医者は医療ミスと認めましたが後の祭です。

勿論、普段は蛋白質(窒素)は必要です。しかし日本人の場合、最も身体に負担をかけないのは、植物性蛋白質を必要最小限度だけ摂り、動物蛋白なら魚や、せいぜい小動物程度と言われます。
肉食は、体力的に余力があり新陳代謝が盛んで、老廃物を体外に排泄しやすい、肉体労働者や若者、長すぎる寿命を持て余し、縮めたい者だけに奨めるべきです(笑)。

栄養学を元に、体力が劣っている老人や病人に、肉食を奨めることは殺人行為に等しいと言えます。
自然食の立場から見ると、現在の病院食は病人製造食、癌患者に対しては再発食だと言います。うがった見方をすれば病人を増やし病院が儲かる食事です。

学校給食も同様で、画一的なメニューを改め、各人に合った偏食をさせるべきでしょう。人は生まれ付き、頑強度が違います。ブルトーザーのように頑丈な者もいれば、乗用車のように華奢な者もいます。
肉を食べてはいけない者もいます。肉食はアレルギー食品のように急性症状を示さなくても、命や精神に関わる問題なのです。

各人各様、時に応じ、身体が要求する身体にやさしい物を、その地域に育つ物の中から選んで、偏食をすることが最も合理的で、健康を保つ食の在り方と思います。
偏りの無いバランスの取れた食事が良いと言いますが、特に生命関連では「〇〇と言われていたが最新の研究では××と言われ・・・」というのが常です。基準が常に変わっていてはバランスなど取りようがありません。そもそも、バランスの基準が自然食(健康に生きられる食物)なのです。

人に肉食が向いていないことを別の面からみると、人からできるだけ遠縁の物が良いということが言えます。その証拠に、キノコ(菌類)や植物、発酵食品(間接的菌食)などには、健康食品、機能性食品と言われる物が多く、動物では魚くらいまでで、哺乳類等の高等生物にはそのようなものはありません。
機能性食品: 一般的には次のような機能を持つ食品。栄養素がある(第一次機能)。五感に好ましい(第二次機能)。健康、身体能力、精神状態に好ましい整理作用(第三次機能)。
法的には「特定保健用食品」。加工食品を対象に、食生活において特定の保健の目的で摂取をするものに対し、その摂取により当該保健の目的が期待できる旨の表示をする食品(栄養改善法施行規則第8条第5号)を厚生労働大臣が許可。

逆の好ましくない機能が強いと考えられるのが近縁食。その最たるものが共食いです。進化が進んだ高等動物ほど問題が起きるようで、進化面から考えれば誠に合理的な仕組みです。折角、収斂した“いのち”が共食いで自滅したのでは進化が止まってしまいます。
異常プリオンによる海綿状脳症、狂牛病(BSE)は共食い(反芻獣)の結果、現れたと言ってよいようです。
海綿状脳症: 人のクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)、クールー病(Kuru)、羊のスクレイピー、慢性ウェイスティング病(シカ)、伝染性ミンク脳症等が知られている。

他の海綿状脳症も共食い(直接あるいは間接的に)という共通点があります。異常プリオン(虫の代役)は、“いのち”の収斂に在っては不都合なものを、処分するために現れていると考えられます。

ただ単に太らせたり、効率を考える家畜などの場合には栄養学が非常に役に立ちます(できた肉や卵に問題が残りますが)。中でも家禽栄養学は最も進んでいると言われ、蛋白質ではなくアミノ酸レベルで飼料配合設計をします。
私も養鶏で、随分と栄養学の恩恵を受けてきました。決して栄養学を否定するわけではありません。ただ、どんなに進歩しても食物の一面である、栄養面しか扱わないのが栄養学だということです。

栄養面に直接現れない、質を知ることはできません。例えば、餌や水を変えれば吸血性の外部寄生虫までも消すことができますが、栄養学ではそのようなことを考えもしないでしょう(非吸血性では効果が現れないところを見ると血液が変わると考えられる)。
あくまでも限られた範囲内で通用する知識であり、分をわきまえた謙虚さを忘れないことが大切です。科学教徒・栄養学派にならないために^-^。  
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神様の気持ちになって(立場の逆転)

 最近、「代替医療」という言葉が盛んに使われています。主に東洋医学や民間療法を指すようです。ところで、今まで当たり前と思っていた「病気を治す」という現代医学の考え方、ちょっと変と思いませんか。
よく考えると、西洋科学を基盤に置く現代医学は「直し」たのであり、ただの一人も病人を「治し」てはいません。医はあくまでも補助的なものであり、病人が自分自身が治すのです。医者はその手助けをしたに過ぎません。
そして、代替医療を「認めよう」なんて、何とも傲慢な発想ですね。現代医学は病人自身の「生きようとする力」が治癒の源泉だと、ようやく気付き始めただけのこと。無視してきた医療を認めざるを得なくなっただけでしょう。
補完代替医療:[現代西洋医学領域において、科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称]

「直す」の例を臓器移植でみれば、先ず他人から臓器を切り取って患者の身体に縫い付けます。でも、機械じゃないんですから、それだけでは治ったとは言えません。患者が自ら繋ぎ合わせなければなりません。医者は単に臓器を取り替えたのであり、それを繋げて機能させるのは患者自身です。
「自然治癒力」と言いますが、全ての病気は患者自身の、生きようとする力「治癒力=生命力=自然の意思」で細胞を再生したりして治しているのであり、医者は薬を与えたり、切り取ったり貼り付けたりしているだけです。でもまあ、輸血や臓器移植って究極の「共食い」ですね(^-^;。

 ところが、同じ移植でも自前の細胞から組織や臓器を作り直す、「再生医療」「遺伝子治療」は自然治癒力を最大限に活用していると言えます。
一見同じように見える切り貼りでも、再生医療は、原始的、未分化な幹細胞を「分化=進化」させ、その上位にある各種組織細胞を再生するわけです。これは自然の意思であり、自然治癒力そのものの応用と言えるでしょう。

幹細胞は炭素循環農法で言えば、微生物に相当します。特に造血幹細胞は酸素や養分を運ぶ赤血球や免疫機能を持つ血球を二次的に作ります。血球はトラックで荷物を運搬するように、単に荷物を載せているのではなく、血球自身が養分や免疫物質です。
これは、微生物自身が養分でありバランスであるのと同様です。自然は相似した仕組みが幾重にも入れ子になり階層構造になっていて、基本は非常に単純です。

慣行農法や有機・堆肥農法等の「肥料・殺し農法」は現代医学と同様な思考に嵌っていて、本来(自然)の生かすシステムに反した、一時的な対症療法的農法です。人が「主」で自然(作物)が「従」と考えています(典型的な西欧的思考=三次元思考)。作物自身が自ら育つのであり、人はあくまでも手助けするだけです(東洋的思考=四次元思考)。説明は省きますが次元の転換です。

何事も「逆(あちら)から見る」。自分(人)の側ではなく、相手=自然(神)の側から見るということ。早い話が「神様の気持ちになって」(笑)物事をみる。神様をやってみるということなんです。
代替医療や無施肥・炭素循環農法が感心もたれ始めたということは、人々が神様を始めた?証拠でしょう(笑)。  
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異変

 糖蜜やバカスが値上がりしています。ブラジルは世界一のサトウキビ(砂糖、エタノール)生産国で、産業廃棄物扱いだった糖蜜やバカスはただ同然でした。ところが最近、様子が少し違います。

此処のサトウキビの従来の収穫方法は、枯葉剤を散布し火を放ち、手作業で切り倒していました。主要生産者は自前の精糖、アルコール工場を持つ千、万ha単位の大農場ですから初めて見た時には大規模な山火事と勘違いしました。 しかし、この方法では肥料、農薬、枯葉剤、収穫費が嵩むだけではなく、土壌劣化が激しく表土流失も問題になっています。実際には表土などというと生やさしいものではなく幅、深さ共10m以上の谷も珍しくありません。

最新の収穫方法は高価な大型収穫機で目的の部分だけ収穫し不要部分はその場に残します。残滓や精糖時の副産物の糖蜜、バカス(一部自家発電に使う)、アルコール発酵残滓等もできる限り土壌に還元します。つまり、電力も含め可能な限りの自給自足型・循環農法に転換しています。エネルギー的には機械、設備以外は持ち込まず、サトウキビが固定した太陽エネルギー(炭素)だけを砂糖、エタノールとして持ち出すわけです。

サトウキビはイネ科植物の多くが持つ特徴である植物内生菌(エンドファイト)の窒素固定もあります。固定量は植物体中全窒素の10%〜50%で植物体重量が大きいため、マメ科植物の根粒菌に匹敵する窒素固定量です。そのため比較的痩せ地でも育ちます。ところが痩せ地で育つ養分吸収力があるだけに従来法では非常に土地が痩せます。

でも、この性質を逆手に取れば、炭素固定量が多く根も地中深く張り、無駄なく炭素循環をすれば、痩せ地でも反対に短期間で地力を回復することができる作物です。 栽培地帯(内陸部)はテーラ・ロッシャ(紫土=溶岩が急速に固まった玄武岩が母岩。マントルのミネラルバランスが保たれている)で、無施肥で何十年とコーヒーができたと言われる肥沃土壌です。

しかし、従来の施肥農法では炭素循環が不十分で、元は肥沃でも土壌の物理性劣化が激しく、等高線栽培をしても表土流失は避けられませんでした。地形は大きく緩やかな波状形で平坦ではありません。一つの丘から次の丘まで数km程あり、くねくねと曲がった畝の等高線栽培は大型機械での作業性が悪く、屈辱的とも言える栽培法です。

最新技術ではトラクターを谷や丘に向かって一直線に走らせ、畝が数kmも谷底に向かって走っています。雨は殆どスコール(雷雨)で短時間に集中的に降りますが、雨水は全て土壌中に吸い込まれ一滴も流れません。これは、土壌深部まで団粒化していて硬盤層も形成されていないためです。炭素循環農法は家庭菜園から大型農場までが謳い文句ですが超大型機械農で、最もその真価を発揮します。

ここまでは良いのですが、糖蜜やバカス(堆肥資材)はいずれ入手困難になるでしょう。同様に大規模栽培の大豆(豆殻)、トウモロコシ(芯)、コーヒー(殻、絞り滓)、米麦(籾殻、糠)等も、サトウキビの循環農法を見習うようになれば一般に出回らなくなります。副産物を売却し肥料、農薬、除草剤等を買うより遥かに安上がりで栽培も楽になるからです。

ブラジルは緑の大地と思われがちですが実際は赤い大地です。大西洋岸の沿岸地帯(保護林)やアマゾン水系の熱帯雨林以外に自然林は殆どありません。植林はパルプ材です。森林資源も農業に使う余地などありません。今迄、炭素資材を人任せにしていた農業者は、自前で炭素を賄うことを余儀なくされるでしょう。  
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困るのです。いけないのです。

 現在ではほぼ認められているようですが有機農法を非科学的と決めつけ慣行農法の農産物との違いを認めようとしない方もいるようです。ところが実は科学の方が農業の実際面に追いつけないだけのことです。
現在の科学ではCaを与えない鶏が雲母(珪素)を食べて丈夫な殻(炭酸Ca)を持った卵を産んでもらっては困るのです。海藻等のヨード源を与えないのにヨード卵なぞを産んではいけないことになっているのです(笑)。
これは極端な例で真偽の程は分かりませんが、科学的証明に関係なくこのような現象を実際に応用しているのが有機農法です。当然風当たりも強いし情報操作も無いとは言えないでしょう。余り意識していませが農業は自然相手という性質上、科学の最先端の先を走っています(自然があって科学がある)。農業者や一般の消費者が思い違いしても、それは仕方のないことなのかも知れません。  
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キノコ、コーヒー、ダイオキシン。

 シメジ栽培とコーヒー園をやっている人の話によると、コーヒーにシメジ(ヒラタケ)栽培に使った廃菌床(培地)を撒くと非常に良いそうです。使い方は無処理でコーヒー樹の下に撒くだけです。これは炭素循環農法の基本に則った使い方です。
廃菌床の約2/3はおが屑です。おが屑は通常無処理で使いません。難分解性のため有効化するのに時間を要し、有効化を早める堆肥処理でも半年から1年かかります。また、半端な処理(C/N比30以下の未熟堆肥)ではNブロック(窒素飢餓)を起こします。

ところがキノコの菌が生きている廃菌床はそのまま投与してもNブロックを起こしません。それからキノコの菌(糸状菌)はダイオキシンを効率よく分解します。ダイオキシンを含んだ培地で通常のキノコ栽培と同様の培養1回で50%のダイオキシンを分解するという試験結果が出ています。
日本ではキノコ栽培が盛んで大量の廃菌床の処分に困っているところもあるようです。そして大部分を堆肥にしているようですが、これは何とももったいない話で、生のまま菌の生きた状態で使えば大変有効な農業資材です。またダイオキシンに汚染された土地でも短期間で浄化できるものと思われます。

炭素循環農法を始めると土壌中に急速に糸状菌が増えて雨後種々のキノコが発生するようになります。キノコの発生の有無が土壌の良し悪しの一つの目安になります。
これは堆肥や化学肥料等の窒素肥料を使わないため過剰な窒素分からのアンモニアの発生がないためと思われます。菌種にもよりますがアンモニアは糸状菌の繁殖を著しく阻害します。
多種のキノコが発生するような圃場に廃菌床を使うと緑肥などを養分として温度や水分等の条件次第では本来、枯れ木にしか発生しない栽培種のキノコでも発生することもあります。  
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話し合いましょう?

 「生命農法」の著者、高橋武夫は近所にゴルフ場ができて、餌場を失ったキツネが鶏を襲った時に腹を割って狐と話し合ったそうです(笑)。それ以来キツネは二度と鶏を襲うことは無かったといいます。しかし、そんな馬鹿なことができるものかと私は最初は思いました。

ところが最近思い出したんです。もう10年以上前のことでしょうか。鶏を襲うわけではないのですが山犬(秋田犬ほどの犬科の野生動物)が毎晩、鶏舎の周りに集まってくるようになりました。割れてケージの下に落ちた卵が目当てのようです。
この山犬達は人の恐ろしさを知らないようで近づいても逃げません。3メートル程の距離まで近づいたこともあります。それが次第に増え30頭ほどの群れになりました。こうなると放置しておくわけにはいきません。犬科動物の習性として何れは鶏を襲うようになるでしょう。

そこで銃で脅してみたのです。足元に撃ちこんでもキョトンとしているだけで一向に逃げようとしません。仕方ないので頼んだ?んです。「おまえら、落ちた卵は食べても良いが鶏を食べたら承知しないからな!もし食べたら遠慮なく撃ち殺すからそのつもりでいろ」って、脅しですね(笑)。「俺はお人好しだから良いけど他の人間はそうはいかないからこんな所にノコノコ出てくるんじゃあない」とも、他にも色々言ってやりました(笑)。
銃を持っているとはいえ、脅しても逃げないし習性も知らない30頭程の群れですから、こちらのほうが怖いんです。逃げ腰で10分ほどブツブツやっていたような気がします。知らない人が見たら気が狂ったと思ったでしょうね。
ところが今考えてみるとそれ以来、山犬は姿を見せないんです。私の説得?を聞いてくれたのでしょうか。それとも時々野良犬(近所の飼い犬?)を撃ち殺している凶暴な奴と感付いて来なくなったのでしょうか(笑)。
今はできるだけ話し合うことにしています。しかし野良犬は言うことを聞いてくれませんから、やむを得ず銃や毒の世話になってます。所詮モドキでは話し合いは無理なんでしょうかね。
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