←戻る    次へ →

とびら  お知らせ  ホーム  ■序  概要  
 
←戻る   ↑ トップ

サイト管理者より(今、何が起きているのか)

 無施肥栽培(無肥料栽培、自然栽培、自然農、自然農法など)と聞くと「収穫物を持ち出せば土壌中の肥効成分がその分減るから持続不可能」と考えるのが一般的な反応でしょう。しかし、それは杞憂というもの、無施肥栽培では土壌分析をしてみても、植え付け時、成育中、収穫後の土壌窒素濃度に殆ど変化がみられません。始めから作物が使う窒素など土壌中には無いからです(無機態窒素は慣行の1/100前後、全窒素で半分以下)。

大量に施肥し更に、あれが足りないこれが足りないと、農業技師などに言われるままに微量成分など使っても、養分不足で苦労している農業者にとっては「そんな馬鹿な」と、にわかに信じられないでしょう。
しかし、無いからこそ使えるものがあり、単なる無農薬ではなく一切の防除が不要になるのが無施肥栽培なのです。土壌中に無い窒素を使う仕組みと技術、防疫の意味と無防除でなければならない自然の非情なまでに厳格な仕組みを明らかにします。

農業における二つの手段(技術)「養分供給と防疫」このどちらが欠けても安定した食糧生産はできません。そして現在、より自然へとの回帰現象が見られます。でも、その多くは回帰ではなく逆行であり、発展の無い一時的現象。歴史はらせん状、一回りしたら一段上がっていなければ発展でも進歩でもありません。

栽培法(農法)の発展過程
 栽培法養分供給手段防疫手段
1原始的自然栽培自然増殖の微生物由来土壌の自然浄化による無防除
2有機栽培有機物堆肥による施肥天然農薬による防除
3慣行栽培化学肥料による施肥化学農薬による防除
4第二の自然栽培人為的増殖の微生物由来土壌の積極的浄化による無防除
原始的自然栽培では両手段は自然状態のまま。これに堆肥による施肥と、天然農薬による防除を加え有機栽培。
さらに化学肥料による施肥と化学農薬による防除が加わり、現在の慣行栽培となり、これは過去の全ての栽培法を内包します。注目点は「施肥防除はワンセット(一例:施肥量と農薬使用量)」であるということです。
 
現在の有機・自然栽培は、化学肥料・化学農薬以前への退行現象であり、実質は使用資材が天然というだけの施肥・施水・防除(殺し)栽培。その理論と技術は肥と殺しを前提とした慣行農法と何ら変わらず、慣行農法の問題点を何一つ解決してはいません。
「施肥・施水・防除」を前提とする理論、技術体系は、その範囲内では有効であり正しいと言えます。しかし、肥と殺しを否定する「無施肥・無施水・無防除」の真の自然農法は、全く別の自然の循環を活用した体系であり、施肥・施水・防除の理論・技術は役に立ちません。施肥・施水・防除の知識で真の自然農法を語ることは無意味です。
 その範囲内:
現在の「物理学=物の理の科学を主体とした科学」では、あちらの世界に属す「“いのち”=非物質」は扱えないため、生き物の「外面」しか分からず「内面」が無視されている。故に過去の文明は、極少数の例外を除き“いのち”の生(活)かし方が分からず「奪い合い殺し合いの文明」なのである。未来の「与え合い生かし合いの文明」には防衛・防除という概念は存在し得ない。
 
ゴミを捨てなくても拾わなくては綺麗になりません。巷で行われている全ての自然農法(自然風慣行農法=自然猿真似農法=自然箱庭農法)は浄化一辺倒(のつもり)の断食農法(防除に相当)。ゴミ拾いの手段がないため浄化が不完全で、無防除(手で虫をとってもストチュウでも防除)にもならず天然(漢方的)農薬などに頼っています。
また、施肥に替わる人為的な養分供給手段を欠いたままの片輪走行では、自由度・適応度が低く低生産性に甘んじ、現在(施肥・施水・防除=慣行栽培)の生産性レベルを保ったまま移行することはできません。

現在の農法に替わる未来の農法は、如何なる理由があろうとも、現行の水準以下の生産性であってはなりません。歴史をみれば明らかなように食糧の生産量が、その時代の人口(上限)を決めています。
自然回帰も結構ですが「生産性を落としても・・・」という発想は「おまえの分は無いから死ね」と言っているのと同じ。趣味の家庭菜園ならいざ知らず、プロの農業者の言うことではありません。

自然林野では炭素や窒素固定による肥沃化現象が見られます。このサイトは、無施肥であっても、自然の仕組み(肥沃化現象=土そのものは痩せ養分循環量の増大)の応用により、養分供給手段=無防除化手段さえ得れば、慣行・施肥農法でできることは一通り可能になること。欲しいものを何一つ捨てることなく、望まないものはすべて捨て去ることが可能であること。そして、真の自然農法が両輪で走り出したことを宣言します。
 
←戻る   ↑ トップ

サイト案内(心得)

 極々少数の例外を除き、殆どの方にとって当サイトの内容(捉え方)は初めてと思われます。次項を留意の上、読み進んでください。全てが逆転しているのは本来の時間の流れ(未来→過去)の関係上、同じものを見ても正反対になるためです。
ここ=たんじゅん(炭素循環)農法を複雑と感じたら、それは己の頭が複雑な証拠。また、何やら宗教めいて、主義・思想・哲学的にどうも・・・と感じたら、それらに囚われて(毒されて)いる証拠。要するに脳内汚染=腐敗(結果として)。宗教・哲学、主義・思想等は人が作り出した人の基準=己の基準。人の幻想であり、自然の基準(理)ではありません。

また、他の農法などに対しての言及は、一個人の言葉(批判や非難)ではなく「自然から見たらこのように見えますよ」と、述べているに過ぎません。何(殺し)をやるのも自由。ただ食糧生産である以上、そのツケは消費者の命で払うということだけは肝に銘じておいて下さい。

理屈はどうあれ兎に角、良いもの、美味しい物を作りたい。また、儲けたいという方は、迷わず(余計なことは考えず)忠実に書いてある通りにして下さい。ただ現在のところ何も理解せず、それができるという保証は致しかねますが(^^)。もし転換に失敗したら、それは炭素循環農法(自然の仕組み)の「つもり農法」です。
現在のところ: 最初の者には手本がない。実践者が増えれば手本通りにすればよい。その時、理屈も理念も感謝もいらない。単にそれを真似ねるだけでよい。
  • ここに貴方の求めている「答え」はありません(技術、理論を除く)。答えを探し回るのは愚かな行為です。ここ以上の知識・理解がない限り、ここにあるのは「問い」です。
  • 自然や、未来側の者=知らない者・幼い者・後輩(自然農法を伝える相手)から答えはもらえます。先輩や指導者、書籍・資料などからは、問いしかもらえないのが自然農法です。
  • そして、答えが先、問いが後から分かります。
  • 基本的技術や原理は説明できますが、農法自体はここでは教えられません。自然から学ぶものだからです。
  • 四の五の言わずに「何が何でも他人に伝える」これが自然農法の学び方。これなくして理解は無理。実践以上に学べます。
  • 自然の側からみての相手は己。「相手を生(活)かす=己を生かす」。故に「企業秘密=自殺行為」です。
  • ここは単なる「自然の代弁」。「自然の側」に立てば、誰にでも容易に分かること(自然の仕組み)の説明です。
  • 原理は非常に簡単。もし、難しいと感じたら「人(己)の側」に立っている「人脳(悩)法」になっていると思ってください。
  • 感動(感情)は一時。自然の法則は不変・不偏・普遍。そして永遠。それを知る=智性。制御=理性。委ねる=本能。この四つのバランスを大切に。
  • 人の言うことを安易に信用してはいけません。それなりに検証してはいますが、とんでもない陥穽があるやも・・・。おかしいと思ったら人(既成の知識)ではなく、虫に直接聞いてください。
  • EM菌(活性液)や米糠のことも、一通りの説明はしてあります。しかし、使えと言っているのではありません。また、使えば良くなるとの先入観念も捨ててください。そもそも「万能」などというものは存在しません。
 先ず最初に、どのような土を作り、その結果どのような生産物ができるのか。そして本物(本来のもの=人畜の食物)と虫の餌の違いを知らなければ話になりません。
農業のプロや多少なりとも、その知識のある方は200回、全く知識のない方は20回以上。当サイトを熟読の後、質問・疑問、感想なりをお寄せ下さい。読んでいないと判断した場合、上記が返信代わりです。手抜きが基本のサイトなんですから、これも手抜きでまいります^^;。
もちろんメールは大歓迎です。皆さんから教えていただく、答えや問いが当サイトの内容充実の原動力です。返信しない場合でもサイトには、しっかり反映させていただきます。
 200回:
しかし、当サイトを丸暗記なんぞしても何の役にも立たない。それどころか知識の積み重ねは有害(肥毒)。頭は覚えるため(過去)ではなく、考えるため(未来)に使う。必要なとき必要な箇所を調べれば十分(辞書的活用)。では何故?。ご自身で確かめて下さい。
 
←戻る   ↑ トップ

不幸にして「自然風慣行農法」を学んでしまった方へ

 一生懸命勉強して知識が豊富なほど、実践経験が長ければ長いほど、救い難いほど重度の「自然農法症候群」に罹っています。自己診断法は単純明快。2年で虫も病気もつかず、成育速度、収量とも慣行並み。丸3年で全ての点で慣行を超える。
これ以下の進捗状態なら、間違いなく罹患しています。畑を見れば、その人の頭の中の腐敗度、団粒化・浄化度がたちどころに分かります。畑は、それを管理する人の脳の状態を正確に反映しているからです。
何も知らなければ、たった1年でできることを重症者は、人一倍熱心に努力したあげく、最低でも3〜5年。更にその後2〜3年で、できることを数年〜10年以上、無為な時間を費やしています。それでも治れば儲けもの、転換半ばで止まってしまいます。

一般の慣行農法の場合、無意識であっても「他に方法がない。仕方がない。」という自戒、自責の念から自覚症状があります。ところが自然風では、人の側(己の頭)の基準で「自分は正しい」ことをやっているという勝手な思い(独りよがりの偽善ゆえの奢り・慢心)があり、それに拘り(自縄自縛)自覚を妨げます。
己自身を誤魔化し自己正当化。正義面して他を非難。自給自足だと自己満足、自慰・自己陶酔。そして、得る前に感謝すれば確かに「ありがたく」はなりますが畑が良くなるわけではなく、我慢や自己犠牲(殺し行為)を他に押しつける。これでは救われようがありません。
根底にあるのは自然に対する甘えと逃げ。自他給・自他足=共生。善・悪(相対的なもの)、全てを生かす。これが自然の理。残念ながら現時点(2010年)で、唯の一人も重症者の完治例を知りません(2012年初の完治例が)。過去の自然農法=自然猿真似農法=自然風慣行農法の知識・経験はそれほど厄介なものなのです。

未来側から見れば「後の者が先になる」。治療法は唯一「新しい(後の)者=答えを貰える先生=自分を映す鏡」に伝える(話す)。先の者は後の者を追い越せません(後から生まれた者の方が、より先まで生きられるのと同じ)。しかし、付いて行くことはできます。自然に対しての努力は逆らっている証拠ですが、これだけは努力が必要。
転換後の年数に関係なく、これができれば「自然の側に基準をおくこと(意識の地動説化)」が容易にできるようになります。実質的な転換は、意識の地動説化が始まった時から。地動説化さえすれば、1〜2年で慣行農法を超えられます。

幸いにして余計な勉強をしていない、慣行農法や新規就農者などの場合は、慣行農法をしっかり学んで下さい。それを正反対にするだけでよいのですから。施肥や防除はしませんが、その知識は無駄にはなりません。何事も両面を知ることが大切です。
また、化学肥料(有機堆肥も肥料)、化学農薬(天然物でも農薬)、耕起、機械化、大規模化、単一栽培、工場化、遺伝子組み換えなど々、何であれ逃げていては話になりません。実は、これら全てOK。但し自然を知り、その理に合わせることができた時の話。「そんな馬鹿な」と思ったら、既に重度の自然農法症候群です。

4 9 2
| |
3 5 7
| |
8 1 6


たんじゅん クリエイティブ・コモンズ・ライセンス 表示-継承 4.0 国際(要約) Creative Commons CC BY 4.0日本語公式サイト) 著作権等について E-Mail

←戻る    ↑ トップ    サイトマップ    次へ →

inoti