結過去を否定するわけではありませんが・・・
農法などと大仰ですが、当たり前の自然の仕組みを、単に説明したに過ぎません。今までの農業(学)の常識とされていたことの悉くを、正反対にやれば良いということを理解頂けたでしょうか。何故かと言えば、その根底には「人が作物を肥やす」そして「邪魔者は殺せ」という人の傲慢な思い(前提条件の選択)があるからです。 これは、慣行農法に限らず、有機農法、従来の自然農法についても言えることです。命を育む自然の仕組みに従い、人が勝手に「肥やすな」「殺すな(取り除くな)」という単純な基準を守れば、病虫害、環境汚染(破壊)、天災(実は人災)等の諸問題が一挙に「消え」ます。 人は無意識の内に自然に逆らっているということ。相手(自然=自然の理=法則)の立場ではなく、自分の立場で物事を都合の良いように、勝手に解釈しているということです。虫や菌、災いはそれを我々に教えてくれています。率直に(地動説で)事象を見る眼(心)を大切にしたいと思います。 炭素循環農法は生命現象に伴う、全ての現象に共通の自然の原理・法則の応用です。天動説から地動説への転換ができれば、基本的には農業に限らず、全ての事象に対して同じ対処法でよいことが分かります。特に人間社会の、一見複雑に見える現象でも、面白いほど明確に物事の本質が何処にあるか見えてきます。 自然は「命を生かすためのシステム」。逆らえば「生きるためには不都合な現象」が起き、それは「命の解体作用」。自然の意思(目的)が命の進化(より高度な表現)にあると考えれば、当然過ぎるほど当然なことなのです。 その、システムの科学に従い、食物を得るための農法が自然農法です。科学に指導者や教祖、組織は無用、マニュアルはシステムそのもの。自然農法に、組織(指導者)があることは反自然であり、また自然は崇拝・信仰の対象ではありません。そのような(人基準の)ものは何処かが“おかしい”と思って間違いないでしょう。 システムの詳細な仕組みや科学的証明は学者の仕事です。しかし、作物が育つ全体の仕組みを把握しなければ、人々の健康に役立つ、活きの良い農産物を安定供給することはおぼつきません。 何も難しく考えることはありません。あくまでも自然が基準。自然の姿を、欲や感情、人知を交えず、そのまま(流れ)を見つめれば自ずと答えは導き出されます。 見えない部分(基礎=地下)の「多様・複雑・増大化」と、見える部分(地上=成果)の「単一・一様・増大化」。この秩序立ったバランスが自然の進化の方向。自然の法則であり意思そのもの。神?は何のために宇宙を作ったかという疑問に、宗教や哲学(人知=人基準)の入る余地などありません。 素人が随分と言いたい放題ですが、百姓は「百生」。全てを生かし「命を育むことが生業」である以上、人々の命に対しても責任を持つ。それには誰よりも自然の本質を知らなければなりません。 虫の餌を横取りして食べる(させる)のは止めましょう(^-^)。食物以外の物を食べる(させる)のも止めましょう。そして、活きのよい命を食べ(させ)ましょう。 それが自然の意思であり、百姓の責務です。また、これが地球を壊さない生き方でもあるわけです。強要するつもりはありませんが、過去の農法に決別しなければ、人々が生き残る道はないと思います。 百姓は「お前の命は俺に任せろ」という気概を持って下さい。消費者は「俺の命はお前に預ける」という百姓を育てて下さい。炭素循環農法の理論が少しでも役立てば幸いです。
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