←戻る

参考資料 8
古代文明を支えた氾濫原農業

嘗て、アマゾンのモホス大湿原に未知の巨大文明が!
その文明を数千年の時を超え、支えた得た農業とは

←戻る 転換2 持続性(アマゾン古代文明)へ

 「過去という鏡の中の虚像」を掻き集め列挙したからといって、過去が見えるわけではない。過去を、未来側から見て初めて過去が見える。それは同時に、「未来=実像=実体」を見る(創る)ことでもある。(創る:想像4 - 論証2 - 検証6 - 創造5 - )
 

熱帯湿原は砂漠?

熱帯の氾濫原農業は「水→陸」の養分循環次第
 画像1上:減水し露出・陸地化した半砂漠状態の草原。
 画像1下:まだ豊富な水が残る河と河畔に沿って残る浸水林。
渇水期の陸は半砂漠(パンタナル大湿原)
撮影時期は豊水期〜渇水期の中間。草原は水位が上がれば水没し湖沼化。渇水期に露出した土壌は、砂に粘土が混ざり極度に痩せている。毎年繰り返される水没と乾燥で、有機物は洗い流され、残っても熱帯の太陽に焼かれ、好気条件下で速やかに分解・消失、たちまち貧栄養化する。
撮影時の水深数mの、この河も降雨量が少ない年には、ほぼ干上がる。川面に繁茂した浮き草(ホテイアオイ)が水中の養分量の豊かさを示す。上流の大地と干上がった陸地から流出・濃縮されたものだ。

 画像2: 氾濫原に林立する蟻塚。
蟻塚
満水時、蟻塚は先端を残し水没する。これで満水時の水位が分かる。水没に備え高さを確保するため先端は尖っている。他の地域では先端が丸く、ずんぐり型。

 画像3上:浸水林と干上がる寸前の、草原化し始めた湿原。
 画像3下:増水期には1m前後浸水、下生えはなく歩きやすい。
疎林の中に腐葉土はない(パンタナル大湿原)
僅かに高く、乾燥しやすい所に樹木はない。河畔の林内も有機物が洗い流され、水没と貧栄養に強い樹木だけが生き残る。反面、養分豊富な水は、水棲生物や野鳥(湿原の点は大型の鳥)の命を育む。ここは世界有数の野鳥の大繁殖地。

 画像4上:鉄分で赤く染まった脆い砂岩の断崖が延々と続く。
 画像4下:断崖上からの眺望、近くにUFO基地が・・・?。
洗い流される上流域(パンタナル大湿原)
上流域のシャッパーダ・ギマラエンス高原。主要なパンタナールの水と栄養分の供給源。赤道域には砂岩を母岩とするミネラル分に乏しい、ゴンドワナ超大陸時代の古い地質が共通して見られる。
それが更に太陽に焼かれスコールで洗い流され風化。痩せた広大な大地が遙か彼方まで、視界の限り続く(映像は極一部)。

 画像5:モホス氾濫原
 拡大画像上:ロマも貫く、テラプレイン(乾燥場・作業場?)。
 拡大画像中:ロマから放射状に伸びるテラプレイン。
 主画像:人造湖(土の採取場?)群。
 拡大画像下:数百メートルはあるロマ。
洗い流される上流域(パンタナル大湿原)
拡大可能な地図で見る  ダウンロード:Google Earth
拡大可能な地図で見ると多数の人造湖と、ロマやロマから放射状に伸びたテラプレンが至る所に見られる。同じように放射状に拡がるカビの菌糸様の薄い線は獣(牛)道。
人造湖は、ほぼ同じ方角を向く。多くは北東-南西(大きい)、一部が北西-南東(小さい)。基本形は矩形(大きい)、ないし正方形(小さい)。殆どが二つ一組で北東・南西の位置に並ぶ。A=二つが合体。B=合体した二組が更に合体。C=もう少しで合体。
注、画像から確実に判別できるのは湖だけ。それ以外の構造物を画像だけで判断するのは少々乱暴だが・・・。
 乾季、雨季のはっきりしている熱帯の湿原は、豊水期は湖沼、渇水期は半砂漠。そして増水→氾濫と減水→乾燥の移行期が辛うじて湿原と言える。恒常的な湿原ではないため「湿原」という言葉は実態を表していず、氾濫原と呼ばれる。

画像は古代文明が栄えた、アマゾン上流のモホス平原の南東側に隣接し、形成過程が同じパンタナール氾濫原だ。浅い海が隆起してできた平地を、モホス平原(アマゾン川水系)とパンタナール平原(ラ・プラタ川水系)が二分している。
そのため規模、地形・地理、気象条件等が非常に似通っており、熱帯の氾濫原を知るには格好の場所。また、古代文明の人工物の有無の違いの比較にもなる。
 パンタナール:
ブラジル、ボリビア、パラグアイにまたがる世界最大級の氾濫平原(浸水草原)。面積は日本の本州なみ23万平方km(日本の本州:22万8千平方km)。全支流地域の海抜130m以下の低地帯を指す。この約70-80%が氾濫・浸水する氾濫平原(盆地)である。傾斜は僅か2〜3cm/km。満水時と渇水時の水位差は、下流域の河で5m前後、氾濫原では平均2m前後。

陸の養分が毎年流失、水に移行する氾濫原では、普通の陸地土壌のような肥沃化は起きない。一時的に陸地化しても、そのままでは耕地にならない。現在は一部が粗放的な放牧地として利用されているに過ぎない。
この過酷な条件下での持続型農業には、水没しない土地の造成と、そこに水中の養分を引き揚げることができない限り難しい。逆に見れば炭素循環農法の原理と同じなら何時(古代)でも、できたということだ。  
←戻る   ↑ トップ

古代モホス文明

 1913年、民族学者エルランド・ノルデンショルド(スエーデン)により報告された巨大遺跡群のある「モホス大平原」は、アマゾン河口から約4千数百km上流の、標高130〜210m、平均傾斜度15cm/1kmの氾濫原(グーグルで確認できる両端の人造湖)。広さは約25万平方km。亜熱帯高圧帯に属す南緯12〜17度付近にあり、東西南北500km程の範囲に拡がる。
 亜熱帯高圧帯:
高温の赤道付近では上昇気流(低気圧)が起こり、緯度20〜30度付近で下降気流(高気圧)となる。このため、地上では常に赤道へ向かって吹き込む気流(貿易風)が形成される。南米アマゾンは熱帯収束帯となり、この南側では南東貿易風が吹く。しかし冬は一転して中緯度高圧帯からの、乾燥した空気が長く居座り雨がほとんど降らない乾季が続く。
 
←戻る   ↑ トップ
遺跡の特徴
 古代アマゾン文明(モホス文明)を要約すれば次のようだ。
  • 推定、数千〜1万年間(紀元前8000年以前?〜紀元1200年頃まで)栄えた。
  • 都市を持たず、ピーク時の人口は推定1千万人。
  • 約2千個の一定深度(2m)、一定方向(南東-北西)を向く、巨大な人造湖最大は一辺20km(画像7)。
  • 大小様々な人工島(ロマ=丘陵)約2万個。概ね楕円形で、大きさは300×150m前後(最大700m)、高さ3〜16m前後。
  • ロマ同士を繋ぎ、またロマから放射状に伸びる、平均幅6m前後(最大18m)、総延長5千kmを超える直線のテラプレン(土塁)。それに伴い掘り下げられた運河。
  • 魚を捕えるための仕掛け。大規模な人工の生簀(連なった円形、直径10〜30m、深さ2m)。
 
←戻る   ↑ トップ
形成過程(全ては結果)
 これを炭素循環農法流(地動説)で解けば・・・、話は短く単純に計算から。
  • 10,000,000人/20,000 = 500人: ロマ一つ当たりの人口。一家族10人とすれば50家族。
  • 20,000ロマ/2,000湖 = 10ロマ: 一つの湖(土の採掘場)から、平均10個のロマが作られた。
  • 200m×200m×5m×10ロマ = 1000m×1000m×2m: 200m四方・平均高5mのロマ10個に必要な土の採掘には、1km四方を深さ2m掘ればよい。これが湖とロマの平均的な規模。
  • 200m×200m/500人 = 80m2: 一人当たりのロマ面積。約9m四方
  • 5,000,000mテラプレン/20,000ロマ×6m = 1,500m2: ロマ一つ当たりのテラプレンの面積。
  • 1,500m2/500人 = 3m2: 一人当たりのテラプレン面積。
  • 5,000,000mテラプレン/10,000,000人 = 0.5m: 一人当たりのテラプレンの長さ。
先ず、水が引き始めた氾濫原に向かって一直線に土を掘り下げながら、その土を直ぐ脇に盛り上げ運河とテラプレンを同時に造る。テラプレンが十分伸びたところで土の採掘を始める。
 一直線:
ABCの3人で直線は簡単に得られる。先ずAが基点に立ち、Bが適当な間隔をとり目的の方向に立ちマークする。次にCがABが重なって見える延長線上にマークする。次はAが、次はBと繰り返す。この方法は起伏があっても問題ない。

土の採掘、運搬にはカヌーを使う。人力で重い土を大量に運ぶのには水運が適している。車輪は要らない。採掘はカヌーを岸に横付けにして岸を崩す。土を積み込んだらカヌーは、ロマの造成場所まで、運河を引いて戻る。何艘も連結して引ける。この際、運河が曲がっていては具合が悪い。
 人力:
モホス文明以降のアステカやアンデス文明などでも、農具は堀棒、踏み鋤、鍬、程度。牛、馬、羊や鉄器、車輪、火薬などは存在しなかった。

ロマに着いたらカヌーごと引き揚げ積み替えなし。無駄な動きは一切ない。この作業には比較的小さなカヌーが適している。直接ロマに引き揚げられるし、運河の水深は浅くてもよい。これなら計算上500人でロマ一つを1年で造成?、実際には数年〜数十年?(半生=労働可能期間)。

テラプレン上にロマを造れば画像(拡大画像上)の様に貫くかたちになる。また、全ての湖や池の水深が同じなのは、カヌーを使うため渇水時の運河の水位以下には掘れない。
無理して掘り下げれば水が引かず、魚が捕れないという単純な話。それ以上の意味はない。「水の循環に丁度良い水深が2m」というのは偶然(結果良ければ継続という必然)。渇水時と満水時の水位差の結果に過ぎない。

湖は二つ一組になっている。一つを干し、魚を養魚池に追い込み、土を採取する。もう一方は、この時の運河の水の確保だ。これを毎年交互に行う。これなら、最も重要で作業量が多く、重労働の土の採取が、満水時以外は可能になる。更に魚の乱獲防止にもなる。

最初は小さな採取場を二つ。広くなったところで、それを合体。その隣でも同様に。次はその二組を一つに合体。これを繰り返せば巨大な湖ができ上がる。
水位の調節や魚の捕獲、繁殖にはある程度の大きさがある方が有利だ。ほぼ水平の平原を運河に合わせ掘り下げるだけ、水準測量や強度計算は不要。また、何も障害物のない水の上、多少大きくても不便はない。

最初の内は形に拘る必要はない。しかし、湖が大きくなると厄介な問題が起きてくる。大量に発生した浮き草(ホテイアオイ)が小さなカヌーには邪魔なのだ。仕方がないから、浮き草の無い岸を削り取る。
南東貿易風が吹く関係上(季節や天候によって風向きは正反対)、常に南東⇔北西という方角に風が吹き、そのどちらかの岸に浮き草が吹き寄せられる。

つまり、常に風下以外の3面が採掘可能。採掘が進めば自然に四角になり、方角も一定になる。北東、南西面は常に採掘可能。南東、北西面はどちらか一方だけ、採掘の頻度は二対一。ある程度の大きさになれば、結果的に採掘頻度と同じ北東、南西に長い矩形になる。
但し、合体した時だけ不規則な形になるが、そのパターンは決まっている。最初に二つが並ぶ位置関係も北東、南西にしないと直ぐぶつかってしまう。
←戻る   ↑ トップ
食糧事情
 普通の陸地と正反対に、乾季(冬〜春)の食糧は心配ない。水たまりに取り残された魚、貝。水辺に集まるカピバラ、ワニなど特に蛋白源に不自由はしない。それを一番よく知っているのが渡り鳥、餌の最も豊富な乾季に彼らは、繁殖のために飛来する。

平原が見渡す限り水没してしまう豊水期(夏〜秋)はそうはいかない。雲と見紛う鳥の群れ、足の踏み場もないほど転がっていたワニ、あふれかえっていた魚、みな空の彼方、水の中に消えてしまう。乾季と雨季は風景だけでなく見た目の、生物相も変わり全くの別世界なのだ。
この時期の食糧は、水に追われロマに逃れた小動物や、ロマで育てた旬の熱帯果樹などがある。しかし、平均4haの小さなロマに集まる小動物、植えられる果樹はたかが知れている。とても500人を養うことはできない。

そこで、乾季に捕らえておいた生け簀の魚介類が貴重な食糧となる。だがこれは、養魚などという大袈裟なものではなく単なる備蓄。「生きている保存食」。自分の食糧の確保すら困難な時期に魚を養う餌はない。

となると、どうしても恒久的に水没しない地面(畑)が欲しい。テラプレンもあるにはあるが、たった3m2/人。畑には足りない。かといって車もなく500人/ロマの連絡網に幅員6〜18mの道路はあり得ない。増水すれば直接、何処にでも行かれるカヌーの方がはるかに便利だ。

そもそも運河の必要性(渇水時や湿原状態の時)はあっても、道路の必要性など全くない。車社会ではないのだ。山に登った、のちの文明にもついても言える。陸に上がれば道路は必要(4万キロ及ぶインカ道)だが急峻な山間地で、車輪は必ずしも便利とは言えない。

勿論、無駄なものを造りはしない。陸地(期間)の少ない氾濫原では、木質系資材が十分とは言えない。替わりに、草本系資材=浮き草=ホテイアオイは大量にある。しかし92%は水分。そのままではどうにもならない。
でも、ここは熱帯サバンナ(熱帯雨林ではない)。気温、日当たり、風通し、申し分なし。干せば良い。ホテイアオイは邪魔者ではない。なくてはならない貴重な燃料だ。乾燥場を作れば良い。
ホテイアオイ:
原産地、南米大陸。富栄養化した河川や湖沼では、一ヶ月で30倍、二ヶ月で1,000倍程に増殖。生産量は1,000〜2,000t(乾物80〜160t)/ha/年、陸地植物の2〜3倍の生産性、と言われる。固形分8%以下。蛋白質は固形分の15%(現物1.2%)、カロリー30kcal/100g。リジン(必須・含硫アミノ酸)が少なく(魚介には多い)、これだけでは家畜の餌料に向かない。成分量(乾物)N:2.4%、P:0.2%、K:5.2%。C/N比=21。乾燥して得られる紐は比較的強度があり、網や籠が作られる。

すると効率よく浮き草を採る工夫が必要。乾燥場=テラプレンをロマから放射状に伸ばし水面を仕切る。蜘蛛の巣状に横にも仕切るのが良い。最短の移動距離で、干したりロマに運べる。それだけではない。魚を捕らえるための仕切りも兼ねる。後述するが他にも色々役に立つ多目的構造物だ。
←戻る   ↑ トップ

古代モホス農業

 蛋白源の確保は十分できても糖質(炭水化物)が足りない。つまり農業の必要性に迫られた。アマゾンの主作物と言えば、芋=キャッサバ(ユカ:原産地=南米大陸)。貧養分、酸性土壌、乾燥に強く栽培しやすい。しかし、半砂漠状態の氾濫原の痩せた土壌では、収穫迄に1〜2年は要する。植え付けはできない。

乾いた土地が現れるのは冬。熱帯のアマゾンとはいっても乾季には、南極からの寒波の襲来で十数度になることも度々ある。トウモロコシや豆類には少々温度不足。低温に慣れていない植物は、低温に対し極端に弱くなる。
また、乾季には滅多に雨が降らない。今でも乾季には作ら(れ)ない、播種適期は雨の降り始める10〜11月だ。しかし、この時期に蒔いたのでは、栽培期間が短い作物でも収穫前に水没。これも無理(最も減水するのは雨が降り始める10-11月、満水は3-4月)。
モホス平原の東南端(上流域) サンタ クルス(標高410m)の気候
 123456789101112平均
合計
気温26.426.425.924.322.220.320.823.025.026.026.926.924.5
降水量204.6132.8128.1112.097.577.463.742.871.3108.4132.1175.41346.1
気温℃(1943-1990平均): アマゾンでは夜間に数度℃まで下がることもある。
降水量mm(1943-1988平均): 10-3月雨季(春夏)4-9月乾季(秋冬)。
モホス平原(中流域) トリニダ(標高155m)の気候 2012
 123456789101112平均
合計
最高31313130292829313132313130.4
最低23232322201716181921222320.6
降水量191.8144.4159.682.573.831.223.425.573.396.1122.9208.21498.4
1年を通して最高気温は変わらない。これが乾季の半砂漠化の一要因。四季はなく雨期11〜4月、乾期5〜10月。しかし、生態系を左右する氾濫水の水位状態で4つの季節に別けられる。3、4月満水期。5〜8月減水期(草原化)。9月〜乾燥期(サバナ化=枯れ野原)、10月〜雨が降り始め新緑の季節。11〜2月増水期。

何も自然に逆らうことはない。あるのだ。トウモロコシや豆類の播種適期とピタリと一致するものが、それは二つ一組の湖の片方が空になる時期だ。減水すると湖の底には土の採取に必要な水路が縦横に走る畑が現れる。湖の縁は高く盛り土され氾濫水への備えも万全だ。
乾いた地面=湖底畑。水=もう片方の湖と雨季入り。炭素資材=浮き草。燦々と降り注ぐ太陽。何か不足するものがあるだろうか。隔年でしか湖底が露出しない土は、十分洗われ浄化され、新たに養分も蓄積されている(土壌のリセット)。

その底土が露出すると同時に、浮き草を引き揚げ播種。養分は逃がさない。この畑は水田とは逆に使う時だけ現れ、使わない時は水が覆う。水没することで、過剰乾燥による土壌の疲弊を防いでくれる。再び湖底に沈めば、養分豊富な氾濫水と作物の残滓が水棲生物を育て、次の循環サイクルに入る。“いのち”が水面下に潜ってしまうのだ。
正しく完璧な炭素循環農法。これで病虫害が発生したら不思議というもの。必ずしも恒久的に露出した土地である必要はなかった。
 乾いた地面:
ロマ10個に必要な土の採掘には、1km四方を深さ2m掘ればよい。一人当たりは 1,000,000m2/10ロマ/2/500人=100m2(1a)となる。1ロマ(500人)当たり10haだが半分は水源、畑として使えるのは半分の5ha。

 
←戻る   ↑ トップ
栽培の実際(土手畝栽培)
 しかし、湖底畑の面積では足りない。あと数倍〜10倍は欲しい。ある程度、低温(10℃前後)と乾燥に強い作物(秋作:ジャガイモなど)は、ロマ周辺やテラプレン沿いでの高畝(土手畝)が良い。

画像6:氾濫原全域に見られる耕作地(土手畝?)跡
土手畝
ロマやテラプレン周辺に畝幅=20〜30m、水路幅(畝間)=数m。長さはその数倍〜30倍ほどの櫛刃で引っ掻いたような模様が無数にある。ロマやテラプレンに比べ構造物としては小さいため、埋まってしまった部分が多い可能性もある。養分や浮き草を水の流れや風で持ち去られないように?、籠の編み目(綱編み)様の配置が多い。(注、高解像度部分でのみ確認可能)
詳細は分からないが大規模な畑の跡も確認されている(右画像)。満水時にはある程度、水没する程度の超デカ畝(土手畝)を作る。勿論、周囲から浮き草を引き上げる。畝の頭が出たら間髪を置かず植える。

低温期は減水期。根の伸長に従い水位が下り、通気性抜群。しかも水中の養分は、作物の養分吸収量に合わせるかのように次第に濃縮され畝の下の方に浸透し、微生物も活性化する。養分吸収を行うのは根の先端部分、そこに空気と養分がたっぷり供給される。

その結果、全ての養分を無駄なく使い切れる。畝の頭頂部が砂漠化しても平気。寧ろ、した方が良い(特に雨季に栽培する湖底畑)。播種期は作物の種類によって違うから畝の高さを変え、畝が露出する時期を調節すれば良い。
湖底畑もやり方は全く同じだ。名付けて「天然オートマチック土手畝・水耕栽培」(^^)。

水路を除き湖底畑の全体が乾き切る迄には、収穫が終わり氾濫期(降雨より1〜2ヶ月ほど遅れる)に入る。今度は治水、魚などの繁殖場所として機能する。ポイントは毎年、水没させリセットすることだ。水に逆らわず、水を最大限活用し、そして水を制御する。

画像7:最大級の人造湖(湖底畑)長辺20km(1万数千ha)
最大の湖
氾濫水を制御している湖(湖底圃場)は氾濫原全体に分布するが、平原の周辺部より中心部に、より多く分布する。
高低差のない大河は、氾濫原の名の通りのたうちまわる。人造湖(右画像)や張りめぐらされたテラプレン、土手畝は流れを緩め氾濫水を暴走させない。草原や上流から流れてきた養分を逃さない役目もする。

栽培は年一回限り。当然、大規模な雑穀類(トウモロコシなど)のモノカルチャー(単一栽培)。収穫時には、既に水位がかなり上がっている。一刻も早く畑に水を入れ、湖として治水機能を働かせねばならない。収穫物は直ちに乾燥場(テラプレン)に運ぶ。

主食の一つである芋(キャッサバ)だけは別である。熱帯では通年栽培できる。水没しない土地が必要だ。浮き草が吹き寄せられる北西、南東の堤防(湖の縁の盛り土)やテラプレンの法面で作る。
保存が利かないこの芋は「一株掘ったら一株植える」のが基本的栽培法。しかし、痩せ地に強い=養分吸収力が強い分、土地が痩せ連作できない。だが、常に炭素資材(浮き草)を補給すれば可能になる。サツマイモ(原産地=中南米)は保存性があるが栽培法はほぼ同様、掘った分を植える。どちらも現在の施肥栽培では連作できない。
 熱帯では;
熱帯農業では有機物の消耗が非常に激しい。近代農業を熱帯に持ち込んでも持続性がなく、ほぼ100%失敗している。氾濫原には手も出せない。多くの犠牲を払いながら、辛うじて周辺部の利用に止まっている(オキナワ移住地:モホス平原上流域のサンタクルスなど)。

これでも、まだ一千万人は養えない。まだある。アマゾン流域には、浮きイネが自生している。ただ、脱粒しやすく(収穫は穂先をカヌーに引き込み軽く叩く)籾摺りなどの手間もかかり、原住民のインディオは殆ど利用しない(全く食べないわけではないが他に十分な食糧があるためか?)。
 浮きイネ:
東南アジア、西アフリカ、アマゾン川流域には、洪水に適応したイネがある。東南アジアの浮きイネ栽培主要国の合計550万ha(世界のコメ作付面積の3.4%)[タイ王国大使館 Royal Thai Embassy,Tokyo]。浮きイネは、水位が上がると1日で草丈を20〜25cmも伸ばす。水深が10m以上でも、水面から50cmは葉を出し呼吸する。「スノーケル1」「スノーケル2」という2つの遺伝子が水位に合わせて節を増やし、節の間隔を拡げていた(2009年8/20ネイチャー、名古屋大学、九州大学グループ)。この遺伝子を持たないイネでも水没しない範囲でなら深水に適応する。

これなら平原全体、丸ごと超深水田。既にテラプレンで適度な大きさに仕切られている。雨季に入り増水に合わせ播種すれば最適期。氾濫水は養分豊富、冠水すれば伸びた雑草も水棲生物・微生物の餌になる(土に混ぜず腐敗は起きない)。
除草、水管理不要(^^)。籾だけカヌーで収穫。勿論これも大規模なモノカルチャー。収穫時(4月前後)は満水状態、やはり乾燥場が必要だ。ただ、生産性は劣る(1/3程度)。まあ、自然猿真似農法と同程度だが良しとしよう。面積で稼げる。
 主食:
トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、マメ類、カボチャ、トマト、落花生など。他にトウガラシ、タバコ(虫除け)など。現在では、アマゾンなどの低緯度地方は、キャッサバ、トウモロコシ、肉(牛)。中緯度はマメ、コメ、ムギ、肉。高緯度はムギ、肉。
 面積:
必要な全農地を0.1ha/人とすれば、10,000,000人×0.1ha=1,000,000ha、これはモホス平原の1/25(4%)に相当。ちなみに日本の農耕地面積は4,609,000ha(農林水産省2009)。

 
←戻る   ↑ トップ
何処へ(未来は創るもの)
 人造湖などの人工構造物は広大な氾濫原全体に分布している。本流近く(中心部)の方が流れが強く、長年月の間に泥に埋まりやすい。それでも、よく見ると現代人が最も困難と考える氾濫原の中心部の方が遺構が多い。 そもそも、生物相が豊かで食糧が得やすい森ではなく、大がかりな土木工事をしてまでも何故、氾濫原なのだろう。

モホスに辿り着いた人々は、カヌーを自在に操る「水の民」。己と自然との間に壁を造らず「自然との融和を旨とする世界観」。労働をこよなく愛する?「農耕民族」。「清潔好き」。さて何処かに、そんな民族が・・・、もう絶滅してしまったのだろうか?(^^)。兎に角、彼らは岡より水を求めて氾濫原の中心を目指した。

他の古代文明のように、木を切り尽くすなど自然生態系の破壊の結果、文明が消えたわけではない。アマゾンの中〜下流域なら浸水密林は多いが、上流の氾濫原(浸水草原)には始めから切る木など多くはない。木を切り尽くすまでに大した時間はかからなかった。破壊しようにも、相手は今でも人を容易に寄せ付けない氾濫原。大量の水による自己復元機能が働き、生態系保持に対する木の持つ役割は小さい。

熱帯は暖房が要らない。火力は弱いが炊飯には十分、虫除けに燻すのには最適な燃料(浮き草)がある。テラ・プレタに含まれるという「低温の炎で焼かれた炭」もできる。カヌーや焼き物に不足するなら周辺(500km×4/10,000,000人=0.2km/人)の森で作り運べば良い。張り巡らされた運河網がある。
 テラ・プレタ:
テラ=土、プレタ=黒。通常の土の数十倍(平均50t/ha)のバイオ炭が含まれ、陶器の破片や動物の骨、貝殻なども混じっている。調理、虫除け、陶器作りなど低温の炎で焼かれた炭や灰、生ごみなどの捨て場?。決まった場所にゴミを捨てる清潔好き(最初にモホスを見た西欧人の感想は「非常に綺麗」)。結果的に土壌改良された黒土。

それでもなお、木が欲しいのであれば少し下るだけで良い。そこには広大なアマゾン熱帯雨林が拡がっている。一部の人々は下った?。人口土壌、テラ・プレタがアマゾン流域の様々な集落跡で見つかっている。しかし、現存していた居住民は文明から隔絶され、焼き畑や狩猟・採取のインディオだけだ。陶器以外、モホス文明の面影は何処にも見当たらない。
 インディオ:
ブラジルでは「バンデランテス」が大がかりなインディオ狩りをして農園で働かせた。しかし、アフリカから大量の黒人奴隷を買い付けている。食糧が何時でも手に入るインディオには、「労働」という概念が無い。体力的に劣るとも言われたが「働く意味が分からない」彼らは奴隷として使いものにならなかった。
 バンデイランテス:
1580-1750年、ポルトガル人により組織された民間の私兵集団・探検隊。家紋の旗=バンデイランテを掲げたのが名の由来。前半の90年間は主としてインディオ狩り、奴隷として売り飛ばす。後半80年間は金探し。奥地探検によりブラジル領土拡大にも貢献。

また直ぐ隣、400km足らずの所にはパンタナールがある。判別しがたいが二つの平原の間には遺構らしきものがある。ここまで拡散したのか、ここから始まったのか?。
あるいは、高みに登っても良い。これは説明するまでもないだろう。諸説はあるが南米大陸には複数のルートから人類が移動し、特色ある文明を築いた。氾濫原に辿り着いたのは水の民、農耕の民。そして拡散していった草原の民は「太陽・星の民」でもある。
画像8:絶滅した巨大アルマジロ(グリプトドン)の巣穴跡?
グリプトドン
ブラジル高原は、アマゾン水系(モホス平原)とラプラタ水系(パンタナール平原)に囲まれ、大西洋側に位置する。乾季(冬)は半年以上殆ど雨が降らないサバンナ気候(一部ステップ気候)に属する。乾燥化後の高原の気候は非常に安定していたようだ。そのためか高度な古代文明はみられない。
原生林(低灌木)を切り開くと土の山(ダンプ1台分ほど)が無数に現れる(Janauba MG)。グリプトドン(草食)は乾燥化で滅びたのか、先住ニグロイドが食べてしまい自らも滅んだのか?。アフリカ系ニグロイドの痕跡はDNAにわずかに残るだけだ。
 諸説:
セーラ・ダ・カピバラ国立公園)の壁画に、南米大陸に到達したアフリカ系ニグロイドが描いたと思われる、絶滅した巨大アルマジロ(グリプトドン)の狩の風景や世界最古の船の画が発見された(55000〜60000前)。その後、北東アジア系モンゴロイド(12000年前ベーリング海峡を渡り南下)が約9000年前に現れ始め、約7000年前以降は完全にモンゴロイドのみになる(ウォルター・ネベス)。そして、縄文人も・・・、縄文人には特筆すべき事がある。縄文時代は約1万年間の長期にわたるが殆ど戦をした形跡が無い。また、アンデスのフォルクローレは5音階(ペンタトニック)、日本音階と同じヨナ抜きである。広範囲で用いられているインディオ古来の尺八型の笛(ケーナ)は、正倉院御物の古代尺八に酷似。東、東南アジアにも広く分布する(西洋やアフリカにはない)。
 説明するまでもない:
紀元前1000年以降、古代アメリカ略年表 [山田邦和]。

アメリカ大陸の文明は武器が発達しなかった。戦争がなかったわけではない。しかし「殺し合い奪い合い」の戦争は一時期にしかみられない。文明には二通りある。殺し合いの文明と生かし合いの文明だ。結果的に支配と被支配の文明が生まれる。そして、非循環思想と循環思想がある。

自然に逆らわず、恐れず、甘えず、媚びず、不自然に。智慧を活かして全てを活かす。特に高度な技術が見られるわけではない。しかし、何一つの無駄もない。
 ・
 ・
 ・
のようであった。かも・・・?。
でなくても一向に構わない。早い話し、変えられない過去はどうでも良い(確かめるのは学者の仕事)。この様にやればできる・・・?。問題はこの先、このような社会は、どの様であったか、どのように消えたか。
まあ、それもどうでもよい。未来は創るもの、我々はこれから何処へ・・・。当ホームページの守備範囲はここまで・・・、

さあ、タイムトラベルしてみませんか (^^)。

 他・参考:
kitombo.com カルタゴ皇帝ゴンの世界「海の人類史10-海の人類史18」「縄文字の謎 キープと藁算」権藤正勝]。
環太平洋の縄文人09.06.29 栗田盛一。
新しい「農」のかたち(画像:レイズ・フィールドの構造 出典:ジャガイモのきた道 P.36)。
スカ・コリュ (Suka Kollu=盛り土)農法(フレッシュアイペディア)。
モホス(フレッシュアイペディア)。
←戻る 転換2 持続性(アマゾン古代文明)へ


4 9 2
| |
3 5 7
| |
8 1 6


たんじゅん クリエイティブ・コモンズ・ライセンス 表示-継承 4.0 国際(要約) Creative Commons CC BY 4.0日本語公式サイト) 著作権等について E-Mail

←戻る    ↑ トップ
 
jigen

haibun
haibun