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雑記2

どうでもよいことを・・・

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言いたい放題も少々エスカレート^^;。でも、あちら側から見れば当たり前のことなんですよ。
☆ 古い文章は雑記1です。
☆ 新しい文章が上です。
これも表面意識(5426)の構造表現の一つ。[方位]は四天王と一致しない。三大天使ではウリエルが外され、色の指定もない。5は表面意識を構成する“エネルギー”の一つではあるが構造上、後ろ(奥)に控えていて目立たない存在。
(画像:湘南ステンドグラス美術館パンフレットより)
 
ガブリエル
あお

水[西]
 

ラファイエル
きい

風[東]
四大天使
ミカエル
あか

火[南]
 
ウリエル
(みどり)

地[北]
 
 
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求めるな さらば与えられん

2018年5月のたんじゅん交流会で沖縄でのベーシックインカムが話題になりました。

 6-5周期(縦の回路)(アワ):
全てが5→4→2→6→・・・と循環し時代も同様(社会循環の法則:P・R・サーカー)。6-5の周期には特徴的な現象がみられ、往々にして混乱(腐敗=浄化)の時代となります。
独裁政権などの6権力集中の時代から、革命などでそれが崩壊し、5労役者の支配(実際の階層ではなく意識)=無政府(烏合の衆)の時代への移行期です。

この混乱期における「静かな?殺し合い」の近代の例ではスターリン時代(1924-1953)、毛沢東の大躍進政策(1958-1961)&文化大革命(1966-1976)、ポルポト政権(1975-1979)。大量粛清・虐殺、経済が停滞し大量餓死です。
共通点は、6権力の象徴である文化や宗教、知・富を否定し、裕福層や知識人、文化財や教育などが攻撃の対象となることです。これら近代の例は、何れも共産主義政権下のものであり、平等・浄化=粛正の名の下に行われ犠牲者の総数1億人。現在も進行形です(イスラム過激派など)。
 共産主義政権下における推計犠牲者数(単位:万人)
ソ連/2000,中国/6500(東トルキスタン共和国=新疆ウイグル自治区/1000,チベット/120),ベトナム/100,北朝鮮/200,カンボジア/200,東欧/100,ラテンアメリカ/15,アフリカ/170,アフガニスタン/150(1997 フランス国立科学研究センター主任研究員ステファヌ・クルトワ、フランス現代史研究所研究員二コラ・ヴェルトによる)。

これが階層構造が崩壊した時代(労役者=プロレタリア独裁)の結果。これは5理性の暴走(急ブレーキ)、自己免疫疾患(最後は内部分裂・殺し合い)です。共産主義や原理主義(イスラムは5)などは同質(善し悪しは無関係)。表面上は革新的、保守的な違いはあるものの「426時代から5の時代への回帰」です。
回帰の目的は5調和。しかし、急激な(主義・思想信条を前面に押し出す)回帰は文明に急ブレーキをかけ、コントロールを失い目的と正反対の結果を招きます。
 イスラムは5:
イスラムの一つ前の隆盛時代は、ルネサンス後の16〜17世紀ころ。異端審問が発端となった魔女狩りの時代、犠牲者は30万とも300万人とも言われる。キリスト教からみた異端、イスラムがやったわけではない(多くの場合イスラムは犠牲者側)。11世紀末期(十字軍遠征)以降イエスの名の下に1億人以上の犠牲者が出たと言われる。この間に世界人口は(億人/年) 3/0 、5/1500 、52.8/1990 と急増、犠牲者の多寡を一概に比較はできないが。

 4-2周期(横の回路)(サヌキ):
不思議?なことに武力による本格的・組織的な戦闘(戦争、紛争)=「賑やかな?殺し合い」の犠牲者数と、武力組織によらない「静かな?殺し合い」の犠牲者数はほぼ同数です。
 本格的・組織的な戦闘(戦争、紛争):
近代(16世紀以降)の主な戦争及び武力紛争による総死者数は1億9百万人(元資料:地球白書1999-2000)。
 静かな?:
実際の行動は労役者が主となる。大衆を扇動 - 噂・密告・証言 - 拷問・自白 - 処刑・私刑。
 アワ、サヌキ:
非物理的な思想・信条による殺し合いはアワ(ソフト)。物理的な力と力による殺し合いがサヌキ(ハード)。アワ、サヌキについてはカタカムナで検索。

普通に?ドンパチやって1億人。調和を求めて静かにやっても1億人、イエスさんでも1億人。これが「求めよ さらば与えられん」の結果です。更にドンパチでは主に経済の破壊、静かな殺し合いでは文明の破壊・停滞という代償も払います。

しかし、このような不調和な事例の善し悪しを論じても意味はなく、また、なくなりもしません。マタイ7:7さんに文句言うのはお門違い。
これは5理性の特殊性と「あちらの調和はこちらの不調和」「みえない世界とみえる世界は正反対」というαω現象なのです。

そんな話「たんじゅんとは関係ない」でもないんです。本質的に全く同じものが従来の自然農法。この世界は入れ子構造ですから 5の暴走は、調和を求める共産的なコミュニティーや個人などでもよく見られる現象です。

たんじゅんは回帰(指向)でもないし、求めもしません。自然の仕組みに合わせるため(足りないものを)「与えよ」です。たんじゅんで説明していることを[窒素⇔金]のように、実社会と対応させてみれば、何を「与えよ」か見えてくる筈。

静かな殺し合いは現在も進行中( 例1 例2 、・・・)です。自然は常に強い者の味方、サヌキ(武力、経済など外面的な力)、アワ(精神的な文化・文明など内面的な力)の両面の強さが必要。弱れば即、処分の対象です。
沖縄が虫に食われないようにするためには、[無施肥⇔無○○金]にして[微生物⇔人(個)]を元気にする[炭素資材⇔ベーシックインカム?]&「微生物による固定窒素⇔地域通貨?」のような高炭素(高分子)⇔複合的なもの(仕組み)が必要ということが分かります。
 対応:
養分⇔通貨、 微生物による固定窒素⇔地域通貨?、 無防除⇔無防衛、 団粒化⇔階層化、 微生物⇔人(個)、 炭素資材⇔ベーシックインカム?、 腐敗硬盤層⇔資本主義・貨幣経済(投機・富の蓄積・格差)?・共産主義(実質支配層による独裁)、 単粒・均一化⇔共産化など、 病害虫⇔免疫機能、・・・。
 
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鏡よ鏡、世界で一番・・・

 「正しいのはだあれ?」さあ、鏡はなんと応えるでしょう?。

人は一人だけでは生きられません。たとえ無人島で一人になっても自然からは逃れられません。その自然が相手でも、人が心で思い・考え・行動に移せば、自然はそれに対して逐一、敏感に反応します(無機物や下等な微生物でも・・・)。自然を人工の「畑」に置き換えても同じことが言えます。物理的であれ非物理的であれ、反応はその人の心の反映。心を鏡のように映し出しているわけです。

SNS、ブログなどのWeb世界も同様。私の、そして貴方の心を映し出す鏡です。誰でも自分が思う範囲内でしか発信できません。その内容は、発信者の心そのもの。ネット上で繰り広げられる誹謗・中傷、批判・反論、非難・賛同、etc、それは自分の心の露呈。作用には反作用、自分自身に問いかける行為です(作用・反作用の経験則=運動の第3法則は、あちらの世界の法則が物質世界に現れたもの)。

批判・反論、大いに結構。遠慮は無用。どうせやるならキッチリ裏をとり相手がぐうの音も出ないよう完膚無きまでに叩き潰すつもりでやること(余計なお世話 ^^;)。しかし、確証もなく脳作業(妄想、それ以前の脊髄反射?)では、崇高な?批判・反論も「そのつもり」でしかなく精神的自慰行為。ただの誹謗・中傷、承認欲求・自己顕示でしかありません。
 妄想:
様々な精神疾患(や中二病)などに伴って生じることがあり種類、症状、根拠(本人なりの理由)、程度も多様。健常者でも状況により起こり得る。ネット上には想像の域を出ない主観的な決め付けがブログ等で多く公開されている。病的になると訂正不能な強固な確信から、それに対する否定的な現実を敵視、理由を問い無視されると己に好都合な解釈をし、それを認めない他者を攻撃。こうなると、れっきとした疾患で回復しても社会復帰に支障がでる場合がある。
一方的に非難し、駄々っ子のように「相手をしろ」とせがむのがその典型(特徴:根拠のない正当性の主張、一見もっともらしいが不適格・不正確な用語使い、相手を卑下することによる上から目線等)。しかし、病人相手に議論はダメ(下手にコメントすると病状を悪化させかねない)。健常であれば尚更のこと妄想に基づく誹謗・中傷は無視するのがベスト(相手をすると病人や犯罪者にしかねない)。

ましてや匿名(法的責任を取れない幼稚&マナー欠如)で、正義の味方ヅラでは何をか言わんや。匿名だからといって、他人は誤魔化せても自分自身を誤魔化せる訳ではありません。心してかからないと己の幼児性、恥を晒すだけ。本人の思い(病状)はどうあれ「現実世界で自分の存在意義を見出せない可哀想な人?」「終わってるネ」と映るのが落ち。

誹謗・中傷が悪いとは言いません。善悪は相対的なもの、その基準は時代や社会的背景でコロコロ変わります。そもそも世の中、出来ることでやっちゃいけないことなどありません。やっちゃいけないことは初めから出来ませんから。やるなと言えば余計にや(りたくな)るのが人情というもの。何をやっても構いませんが自然相手の農業と同じ。タダではありません。そのツケ(報酬)は必ず払わされ(受け取れ)ます。ここも鏡に映った・・・、他人ごとではないですね。折角の鏡、有意義に使いたいもの。

相手が見えないネット社会では共通項(コミュニケーション手段)が乏しく、哲学で謂うところの客観(自分以外の人)や常識(既成概念)では通用しません。情報が少なく映し出されている像が各人各様。また、常識は人・時・場所と共に、常 [に遷ろう知] 識。どちらも基準たり得ません。
Web上に溢れているFacebook、Twitter、mixiなどのSNS、ブログ、Webページも同様。人が人の思い、考えを綴ったものは批判・反論には役に立ちません。やる時は生のデータを使うこと(これまた余計なお世話 ^^;)。但し、「事実=真実」とは限りません。都合の良い事実だけを並べ立てることは自分の偏狭・卑劣さを晒すだけの脳作業。

ところで鏡からの返答は?・・・↓。
「私だよ」、でも歪んだ鏡や曇った鏡では・・・?。「私だよ」、何かの拍子に出来ちゃっただけ?、平行宇宙というのもアリだとか。「私だよ」、分かってない法則の方が多いのでは?。「私だよ」、鰯の頭でも・・・?。「私だよ」、→私?。「その通り」、でもみんな私・・・。「基準を人におけば誰もが正しいのさ」「正義は人の数だけ組織の数だけ」。「基準が“あちら”なら正誤はないのさ」。
この世は鏡の中の虚像(結果)の世界。  
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時とカネと“いのち”の流れ(格差)

 本来の時間は「未来から過去へ」。「物質ではない“もの”」は低い(薄い)方から高い(濃い)方へ流れます。“いのち”の移動方向(収斂作用=養分吸収、成長、進化)も、この原理です(負のエントロピー)。
カネ(情報=力=“エネルギー”)も物質ではありませんから、この原理に従い「無い方から有る方へ」流れます。「物質」と「物質ではない“もの”」では、存在している場所(次元)が違い全てが逆転するのです。

上位1%の所得が国民総所得に占める割合の推移 今までの経済学の教科書では、
「全体で見れば賃金と資本への所得の分配は長期的にはほぼ一定であると仮定されていて、経済発展に伴い賃金が上昇すれば労働者1人当たりの資本が増え、資本収益率は次第に低下、単に多額の資産を保有しているだけでは、大きな所得は得られなくなる」。
故に、
「資産による所得格差の拡大は、深刻な問題とはならない、マルクスの主張では資本収益率が低下していき資本主義が破綻すると言われている」(マルクス主義の方がとうに破綻しているのだが・・・)。
ところが、
誰しもが実感しているように実際は逆。例外的に戦争や恐慌による資産の減少から資本収益率が低下することはあっても、歴史的に見れば常に『資本収益率 > 経済成長率』。
そのため、
資産と資産所得の相乗効果により「富むものはますます豊かに、労働所得だけで持たざる者はますます貧しくななる」。放置すればやがて格差拡大が限界に達し資本主義は自ら崩壊せざるを得なくなるだろう。

これを長期にわたる歴史的データ(200年間)で立証してみせたのが経済学者、トマ・ピケティ教授(Thomas Piketty 1971/5/07 - フランス)です。その著書『21世紀の資本』が世界的なベストセラーになっています(読んでません^^;)。彼の指摘通り、格差の拡大が近年急速に進行し、懸念されています。

格差拡大の要因は高い資本収益率だけではありません。資本・民主主義における機会の平等という「まやかし」です。例えば最下層の飢餓線上にいる10億人、世界の全人口の7人に一人ですから例外などではありません。彼らに資本収益など全く無縁、機会の平等などというものは初めからないからです。
そもそも、持てる者と持たざる者はスタート地点が違います。持たざる者は少しの資産があっても一度の失敗で破産しかねずリスクに対する耐性がありません。そのため大多数の者は、全てにおいて「ローリスク・ローリターン」の選択を余儀なくされます。

格差は物質世界(階層構造)の原理、宿命です。これ自体をなくすことは出来ません。また、その必要もありません。格差を法的制度などで一時的に緩和することはできても、「奪い合い・殺し合い」の文明である限り、何時かは(近い将来?)限界に達し破綻します。ましてやアベノミクスでは・・・。
しかし、資本主義(カネがカネを生む貨幣経済)が破綻しても、一時的な混乱はあるでしょうが誰も困りません。「与え合い・生かし合い」の文明では「幾ら与えても、同時に与えられもします」。格差(階層)があることで、与え合いを活性化します。階層の流転(格差)こそが社会を動かす原動力だからです。人間社会も「物ではない“もの”」。あちらの次元の法則で動きます。  
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時が来なければ

 あるブログに「炭素循環農法では微生物が放射性物質を分解する?」なんて凄いことに・・・^^;。でも、それはちょっと?、そこまでは誰も言っていません(放射線を使う微生物はいる)。ただ、同じ汚染地区でも「微生物の働きの悪い水田の米ほど放射線量が高い」と報道されています。
当然でしょう。発酵状態の土では、物質循環が盛んに行われ、放射性物質も移動・拡散しますから、結果的に作物の汚染濃度は低下します。「なんでうちの米だけ」と嘆いても、死んだ土で不味い米を作っているからです。原発事故さえなければバレなかったのに、とんだところでツケを払わされる羽目になったわけです。

と一応は、説明できます。でも、発酵作用はよく分かっていません。大量の有機物(ゴミ、剪定枝や雑草など)を一定量以上積み上げると自然発火(水をかけると火勢が増す)や、醗酵熱で鉄製の容器が真っ赤になる。など、高熱で微生物は生きていない筈なのに、発酵現象そのものは止まらない、不可解な現象などが見られます。
 自然発火:
ゴミの固形燃料化プラント廃棄。三重県桑名市の廃棄物固形燃料発電プラントで燃料ストック用サイロが爆発、炎上。7人死傷。その後、消火不能、サイロ解体、操業停止。発酵によるガス爆発?、大気水分吸着による吸着熱?説などがある(発熱繊維は吸着熱の応用)が、大量生ごみ堆積の自然発火は説明できない。

物理的にあり得ない=起きない(できない)。ではありません。物以外の“もの”(いわゆるフリーエネルギー=“光エネルギー”)の作用もあるからです。実際に実用段階の技術もあります。しかし、まだ限定的な範囲でしか許されないでしょう(ゴミ処理や水、空気処理など)。現在の意識レベル(殺し文明)のままで、全面的に応用すれば間違いなく自滅。

“あちら”に関心がないのなら、ここは無視。 時期尚早とはいっても“あちら”系の者が、素晴らしい知識や技術を持ちながら、一般には認められないのは残念なことです。但し彼らに対しては注意が必要。たとえ“あちら”系の者でも、こちらの言葉しか知りません。当然、こちらの言葉で説明します。しかし、90%以上は“あちら”の話し。そのまま受け取っても意味をなしません。
“あちら”系に関心をもつことは大いに結構。しかし、こちらの言葉では、分かる筈のないものを分かったつもりで、半端な知識を振り回すのは困りもの。
たとえ本物でも、分からないものに嵌まると、肝心なことが疎かに(見えなく)なります。その好例がシュタイナー(バイオダイナミック農法)や岡田茂吉(自然農法)なのです。
 そのまま受け取っても:
とある“あちら”系の者は、“光”エネルギーの1・9・8を、それぞれ水素・酸素・微生物と呼んでいる。もちろんHやO、微生物(生き物としての)そのものを意味しているわけではない。困ったことに、あちら系の者は、こちらと“あちら”を明確に区別して語ってくれない。「自分に分かる=他人にも分かる」ではないのである。
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7−2=5(間抜き音階)

 ときどき妙なものが・・・(笑)。これで作物や土ができるわけではありませんが(ルドルフ・シュタイナーはやろうとした)、これも“いのち”を生かしている仕組みの、元となる“エネルギー世界”の一面。“いのち”を生かす仕組みを、理論的に解明するためには必要なのです。知っていても邪魔にはならないでしょう^-^ (ここ以外では知ることができません)。
これが分からなければ、シュタイナー(最初の自然農法の提唱者)を理解したことにはなりません。彼が述べている「数、色、形、音」はこの世のものではなく、あの世(心の世界)の“もの”だからです。真の自然農法が未だに理解されていないのは、提唱者(シュタイナー、岡田茂吉)が霊能力を持っていたからなのです。要するに「余計(理解不可能)なことを喋り過ぎ」です(福岡正信や木村秋則さんなら誰でも分かる)。

音と“光”
“光”2
あか=M
3
オレンジ=R
4
きい=Y
5
みどり=G
6
あお=C
7
あい=B
8
むらさき
7音階第1音
第2音
第3音
第4音
ファ
第5音
第6音
第7音
本土の5音階ファ
沖縄の5音階ファ
光りの加法混合 5音階(ペンタトニックスケール)は様々な民族音楽で使われていて、日本音階もその一つ。本土のヨナ抜き音階(第4,7音を抜く:陽旋律)、沖縄地方のニロ抜き琉球音階(第2,6音を抜く)などがある。
任意の音から一つ置きの3音で、和音(ドミソ、レファラ、ミソシ、ファラド、ソシレ、ラドミ、シレファ)=協和音ができる。この協和音中のシレファ以外は対応する光(電磁波)で混ぜると(光の加法混合)、光りの三原色(RGB)が揃い白色光になる。シレファも形の上では一つ置きのため協和音とされているが実際には協和しない。これを光の加法混合で解けば単純明快、白色にならず黄色(RG)なのである(8むらさき=無色透明)。当然、協和音とは言えない。
このような原理があるため、色を見て音が聞こえたり、数字を見て音や色を感じる者がいる(共感覚者)。ちなみに、周波数と音程の関係は、「1オクターブ = 2^1/12(半音)x12(全音5 + 半音2)」(平均律法)。周波数では2倍。という至って物理的な規則性が成り立っている。

本土の5音階で抜いたファ(5みどり)は、空間や時間の「間」。何々と何々の「と」のエネルギー。文字通り「間」に対応しています。シ(8むらさき)は、“あちら”と「こちら」の間で働くエネルギーで、やはり「間」に対応。
また、5みどりは後ろ(未来)に対応(直接“あちら”を見ていたシュタイナーは死の色と表現)。8むらさきは直接この世に現れず、心(意識)の世界のエネルギー。
これが、ファ、シが半音である理由。そして、「日本音階は間の音楽。心の世界を表現する音楽」と言われる所以(真の理由)でしょう?。第4音(ヨ)、第7音(ナ)抜き=間抜き」によって、それを表現しているわけです。

しかし、ニロ抜きの琉球音階は少々事情が違います。沖縄は地理的な理由から、常に外部からの敵の侵攻に直接晒されてきました。土地も痩せ、決して食糧も豊かとは言えません。
第二次世界大戦の例を挙げるまでもなく、沖縄の人々は何時、命を失うか分からない状況に置かれ続けてきました。これは現在でも、それほど変わっていません。本土からは、トカゲのしっぽ的扱い?。いざとなれば切って逃げる。それでも逞しく再生する。
レ(3オレンジ)は、肉体、五感に対応。ラ(7あい)は、愛(喜び)に対応するエネルギーです。これも2音を抜くことにより「肉体を持っている喜び」を表現しているようです?。沖縄(琉球)音階は、厳しく、そして悲しい歴史が生み出した、魂の叫びだと言えるでしょう。
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この程度なら・・・(原子レベルの腐敗現象)

 何が本当?。健康に「直ちに影響を与えるレベルではない」。つまり、取りあえずは死にません。でも、放射線被爆は作用機序の関係上、微量ではあっても、直ちではない影響があり確率的に、この程度の死人が出るかも・・・、なのです。まあ、その確率が自然状態を大幅に超えなければ良いわけですが・・・。
核(分裂反応)を使うのは人の自由。何(核兵器、原発、医療など)に使おうと勝手。しかし、“いのち”を表現するシステム(自然=物質宇宙)にとって、最も根源的な部分(原子)の操作です。制御が難しく制御不能(あるいは無知)状態であれば、とうぜん高価な代償を払わされます。
危険の証明
 何段階もの安全システム(多重防護=深層防護)を必要とするのは「危険の証明」。始めから安全なものに安全システムなど不要。こんなことは、小学生でも(なら)分かります。
あちらの世界に属している、“いのち”を「生かす」。という観点(基準)からみれば、核分裂反応は原子レベルでの死(腐敗分解作用?)。強烈なマイナス現象(要因)が伴うのは当然の理。自然の仕組み(“いのち”の表現=生かす)に逆らうから、一生懸命努力し危険を避けなければならないのです。

スポーツやってるんじゃありません。自然に対しては、エネルギー(努力)を要しないほど自然の理に叶っている証拠。農業に限らず、自然に対するエネルギーは、その仕組みに逆らうために消費されます。
冷たい言い方ですが被害の程度が、そのまま自然に対する反逆度。災いは人の側からみるから天災なのであって、自然の側からみれば、全ては人が勝手に招いたもの(人災)。自然は自然の理(法則)でしか動きません。ツケを払わされても文句は言えないのです。
 腐敗、発酵
腐敗は、人畜の生存に不都合で有害。発酵は、好都合で有益。あくまでも、事象の説明に用いられている言葉、厳密な科学的定義はない。両者とも分解・合成作用であることに変わりないが、腐敗は「死」。発酵は「生」につながる。
 原子レベルでの死:
この(物質)世界は「量子の梯子(階段)」と言われる階層(入れ子=フラクタル)構造。クォーク→核子→原子→分子→化合物→恒星→銀河→宇宙。各階層には同じ(似た)ような誕生(合成・融合)、死(分解、爆発・消滅)という現象(作用)が見られる。宇宙(自然)全体が“いのち”の表現体だからである。その中での生・死は“いのち”の有無ではなく、表現状態のオン・オフ。“いのち”自体は不変・普遍、在りて有るもの。

核分裂反応により生成される物は、どのような利用であっても、生命体にとっては猛毒(万能薬?=低線量率放射線療法)。通常は不要(常用は危険)なものです。ただ、絶対悪(善)というものはなく、全て相対的なもの。適度なストレス(有害物・作用=毒=薬)は、時には有用(必要)です。
但し、「種」の繁栄・保存が自然のプラス方向ですから、核(分裂による放射性物質)の場合、全地球規模の放射性物質拡散(大気圏内核実験やチェルノブイリ事故)で、世界中の人々がより健康になったと証明されなければなりませんが。
ちなみに核融合=太陽(発酵作用?)では、特にマイナス現象は現れません(放射線は出る)。こちらは、“いのち”をより活きよく生かすための仕組みだからです。
なぜ怖い(危険量?)
 飛行機は、時々落ちる。原発は、たまに放射能を撒き散らす。イイじゃないですか?。「たまに」なんですから・・・。でも、程度 X 範囲 X 期間 = 危険量?。
飛行機は落ちれば絶望的、しかし範囲は限定的(機体、乗務員、乗客、墜落地点)、期間は一瞬。核(放射性物質)は、個々(人)の程度(放射性物質の量に比例)は軽度でも全地球的で長期間。

原発は、人からみれば発電機(天動説)。でも、機械にしてみれば発電は廃熱利用のおまけ、実態は危険物(放射性物質)製造器(地動説)。運転する限り器機の安全性とは無関係に、危険量?そのものは増え続け蓄積されます。
ですから、装置・施設の安全性を高めれば高めるほど、結果的に危ないものなのです。どんなに、危険(頻)度を下げても、ボンとやってしまったらお終い?。対症療法で症状を抑え毒を貯め込んで、ある日突然・・・。というわけです。
エネルギーは高いほど・・・
 エネルギー代謝機能不全(糖尿病状態?)に対する安易な対症療法。高血糖(二酸化炭素)を無理して抑え、アメ玉なめてエネルギー収支を合わせている状態。処方は、エネルギー代謝、新陳代謝機能の回復・体質改善。
ありがたいことに無理をしなくても、二酸化炭素ゼロ(運転時)のエネルギーは十分あります。地熱(高温岩体発電)、海洋温度差、波力、海流、潮力、風力、バイオマス、小規模水力、温泉熱、太陽光・熱などです。

これらは元をただせば、全て太陽エネルギー、もちろん只。ところが核分裂は高価なエネルギー(環境負荷=保全・修復、安全や保障まで含めた真のコスト)。発電関連(独占)業界にとって、どちらが美味しいか言うまでもありません。
資本経済が成り立つためには、エネルギーは高価でなければなりません。エネルギーがカネを生まなければならないのです。自然エネルギーでは、太陽光が(大量の変換資材が必要=高価)かなり美味しいようですね(笑)。

動画:【大切な人に伝えてください】小出裕章さん『隠される原子力』

どうすりゃいいんだ(当たり前すぎて書くのも何だが・・・)
 カネを生むもの=腐敗しやすい(した)ものには虫が群がります。しかし、虫(発電関連の利益享受共同体)を殺す必要はありません。虫の出番がない環境を整えれば良いだけです。
原理は無施肥・無施水・無防除。肥(エネルギー)を微生物(個人や地域)に持たせ、土壌の浄化(エネルギーの独占解消)。なにものも排除することなく個を豊かに、エネルギーを利潤(権)や投資(機)の対象にしない環境です。

原発止めたらエネルギーが不足するのでは?・・・、心配ご無用。生き物の世界(人間社会も)には恒常性を保つために、自発的な代償性機能が備わっていています。一時的な不足(禁断症状?)はあっても、多少の不足(適度な刺激=ストレス)は、むしろプラスに作用。不足しなければ他のエネルギー源の開発が遅れ、結果的にマイナスになるでしょう。
また、核(分裂・融合)技術・知識の向上やエネルギー源、兵器などとして、今まで必要としていたことは確かです。しかし、兵器としてもエネルギー源としても制御困難で危険すぎ、適度な範囲内で止めておかないと、免疫力を落とし恒常性(人類生存環境)を保てず本当に危ないことになります。

核(分裂反応=腐敗現象)は、腐敗を招く化学肥料や堆肥(一般的な低炭素比の腐敗タイプ)利用と同様、限定的利用に限られるもの(毒=薬)なのです。軽い火傷の内に火遊びは止めたほうが身のためです。
具体的には、エネルギー産業全体の多様化、柔軟化の推進です。分散型発電=地産地消。代替エネルギーの研究・開発の奨励・補助。発電・蓄電・送配電の分離、売買電の自由化。これらは既にスマートグリッド、マイクログリッド構想として盛んに研究されています。

多様性は「生」。宇宙(自然)の意志。多様化すれば循環が活性化し、循環=「生」です。エネルギーとて例外ではありません。下(土台)から固め(個を生かし)、個が全体を支え全体が個を活かす。「個にして全、全にして個」。極当たり前の、自然のピラミッド(秩序)構造に即した、社会(産業)構造に移行することです。
 多様化:
均質・一様化=エントロピー増大=循環の不活発化=死。その反対が生。エネルギー(発電)企業の独占・巨大化は均質・一様化。当然、循環が不活発化し最終的に腐敗する。あらゆる分野で地球規模のグローバル化が進行中だがこれも同様。個←→全の双方向の循環が重要。
 エントロピー:
あの世の仕組みの現れで、物質界での“いのち”の表現度。宇宙は常に不均質・多様化=エントロピー減少(負)の方向に動いている(来た)。物理学では「物」だけしか扱えないため、エントロピー増大の方向(死の程度)しかみる(知る)ことができない。

でどうなる(ようやく誰の眼にも?・・・)
 物=エネルギー(E=mc)ですから、エネルギーが空気のように只になると、全ての「物(物質)」も只同然。エネルギーさえあればレアメタル・アースなどの資源もリサイクル可能。地球外に持ち出さない限り、殆どの物が希少ではなくなります。
すると面白いことに、他人(過去)の知識のパクリ(コピー)に、ほんの少し工夫を加え、全てを己一人で為し得たかのように主張する、知的財産権も同時に消えます。もし、特許・著作権(経済にはマイナス作用しかない)をと言いたいのなら、オギャーと生まれた瞬間に主張することです(あの世の仕組みからすれば、それでもダメ)。
物や知の独占と正義は表裏一体。殺し合いの口実以外に役に立ちません。「物」は只でも、物でない「もの」労力や知力など肉体的、精神的サービス(労働=営利・非営利を問わず全ての活動=生きているだけでも)には対価を保障します(ベーシックインカム構想)。この時の対価は、必ずしもカネである必要はありません。

天変地異は天災。でも、被害は人の行動によりツケを貯め込んだ結果(人災=浄化作用)です。とは言え、余りにも大きな対価(ツケ)を払わされるものですね。しかし、今回の火傷(地震、津波、原発騒動)で気付かなければ、気付くまで何回でも(各種の災害が)繰り返されます。過去の文明の弱点(盲点)が、ようやく誰の眼にも見える?形になってきたように思いますが・・・如何なものでしょう。
歴史書を絞れば血が滴り落ちます。そろそろ、カネ=資本経済から『人経済?』へ。殺し文明(経済)から『生かす文明』へ。天動説から『地動説』へ。これは、過去(こちら=物質)次元から未来(あちら=非物質=心)次元への転換(パラダイムシフト)を意味します。

人類の歴史は、殺し合いの歴史(中南米文明などの一部例外を除き)。己(個、組織)にとって、都合の悪いものは全て殺しの対象であったのです。資本経済も殺し文明ですから、資本(物の)経済の鬼子(金融やエネルギー、政治屋=物ではない産業)でも、庶民の命など安いもの・・・。なのは致し方ないでしょう。これも自然の理(反自然に対する反生命現象)。イヤなら皆が自分で自分を変えるしかありません。誰もやっちゃくれませんよ。
エコはエゴ(エネルギーを使うほど・・・)
 いずれにしても人類が核を扱う知識と技術を得たということは、神様のお墨付きを得た?ということではあります(遺伝子操作なども同様)。でも、そろそろ何とかしないと・・・。
この世(物質世界)には物理法則だけでなく、あの世の法則も働いています。あの世の法則は“いのち”の表現に関連して表出してきます。その好例が発酵と腐敗(“いのち”の組み立てと分解)や薬・毒作用。場(時)に応じ、何をどのように利用すればよいか、難しく考えることはありません。
 発酵と腐敗、薬・毒作用:
両作用とも、8のエネルギー作用の表出。空間の密度=重力も8。8は、あちら(あの世=心の世界)とこちら(この世=物質世界)の境で働く(繋ぐ)エネルギー。全ての作用(事象)は、必ず8を通して現れる(これを形式化したのがシュタイナーの調合剤)。これらの作用では、無段階(アナログ性=5の性質)に密度(8の性質)が変化する。この濃度(密度)を極度に落とし(情報のみ与え)生体反応を促し、薬効(8の性質)を高めようとするのがホメオパシー(Homeopathy)。そのマイナス(毒性)効果が化学物質過敏症。両者とも同一効果で8の密度・薬理・情報伝達作用の応用(現れ)。
ちなみに、物理作用は2〜7のエネルギー作用。それ故、「物」の科学である現代科学では、発酵・腐敗、薬・毒、重力作用を物理的な片面しか説明することができず、残りの片面は経験則として処理するしかない。当然、超統一理論(四つの力の統一)もあり得ない?。

 経験則(括弧内は“あちら”=“数”=“光”の原理):
ニュートンの万有引力の法則(空間密度)、光速度不変の法則(時間流)、フレミングの右(左)手の法則(方向性=次元性)、エントロピー増大の法則(生命度)など。経験的に間違いないと確かめられているが物理法則(量=数式で証明)ではないもの。

ただ組み立てを、よく理解していないと、エコ?結構「じゃないですか」となります。・・・が、「じゃない」のです。ヒトは、同時に人。ただのサルではなく、エネルギーを使うサル。智を知るサル。大量にエネルギーを使えるほど進化した証拠。そして、進化は神様の望むところです。

浪費や無駄をなくし省エネ、省資源、省力は大事です。でも、単に「使わないように」は人のエゴ。使えるエネルギーは最大限、効率的に無駄なく使うこと。炭循農法の高炭素有機物の活用はその一例(そのまま使っても電気に変換してもエネルギーであることに変わりない)。
勿論、そのエネルギーで地球を壊さない。壊した自然を修復するのは当たり前。また、「清貧に甘んじますから」「エコしますから」お許しを、なんて甘ったれるんじゃありません。そして、神様にお願い、おねだりするのは筋違い。「神様の望みを叶えてあげる」これが人の存在理由(役割)なのですから。
 神様の望みを:
神との関係を逆転させない限り、意識の地動説化(パラダイムシフト)は起きない。宗教と哲学=科学風宗教は、見かけ上分離しただけ。この両者の関係は自然風(猿真似)慣行農法と、慣行(施肥・施水・防除)農法と同様。中味は全く同じ。何れも基点(視点)が己の側にあり、天動説の最たるもの。決定権を、神という名の「他=己に好都合な信仰の対象」に委ねるか、己からみた「他=第三者」(客観)に委ねるかの違いでしかない。
人が勝手に「何か」に委ねてみても、全ては自然の法則でしか動かない。故に法則(自然)以外の基準はあり得ない。真の客観とは自然(物質、非物質の両宇宙)に基準を置く(の側から事象を捉える)ことをいう。意識の地動説化に伴い、自動的に宗教(哲学)と科学は一つに統合され、意識世界(あの世、精神、宗教、哲学)=非物質宇宙も科学の対象となる。でも多分?、信仰(イワシの頭、○○神など)は当分の間なくならない。

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